第一話から読んでね


引越し屋をやめるとき


 大学3年の終わり、ちょうど引っ越しシーズンが始まる頃であろうか。


 その日は目一杯仕事が詰まっていて、私は運転手としてバイトを引き連れ(私もバイトであるが)1日3件の引っ越しをこなさなければならなかった。


 朝は6時半から仕事を始め、終わるのはうまくいって夜7時か8時てところであろうか。


 1件目は男子学生の一人暮らしでアッという間に運び終えたが、次の引っ越し元に向かう道が混んでいて、時間を浪費してしまった。


 実際引っ越し屋は、タクシーの運転手並に道を熟知していて、ほとんど最速の道を使う。


 しかし、時には、ハズレる事もある。


 渋滞につかまって、車が動かなければ遅れるのは仕方がないことである。


 私も引っ越しの運転手をやるようになって、社長から多くの裏道を教わって、渋滞情報や抜け道にはやけに詳しくなったが、この日は渋滞に突入してしまった。


次の引っ越しもとに遅れること1時間、


「遅れてすいませーん、運送屋でーす。」


「ごくろーさまです。よろしくお願いします。」


40歳ぐらいのおばさんが一人玄関から出てきた。


木造アパートの2階からマンションの5階への引っ越しである。


結構長いこと住んでいたのであろう。


家具の後ろなどは、ほこりの山となっている。


のんびりなどしている暇などなく、とにかく早く終わらさなければ、次のお客にも迷惑をかける。


挨拶もほどほどに、早速引っ越しにとりかかった。


荷物の量は、2トンショートにはぎりぎりと言ったところである。


大きなタンス一つと冷蔵庫は新しく買い換えるとのことで、幾分荷物は少なくなったため助かった。


これらの荷物の中で、私が引っ越し屋をやめるきっかけとなった物があった。


別に取り立てて珍しくない普通の物である。


それは鉄のパイプとガラスでできた小さなテーブルであった。色はパイプ部分が黒色で、大きさが1mの正方形の形をしており、そんなに値段が張るような品物ではない。


5000円もしないだろう。通常、そのたぐいの物はガラスを取り外して梱包材でつつみ、パイプの部分は別に運ぶ様にしている。


しかし、その日は急いでいたためであろうか、助手がガラスを取り外さずにそのまま一緒に運んだのである。


このテーブルはパイプにガラスがのっけられただけの物である。


運が悪い事に、助手がテーブルをもって階段を下りる時に、一段足を踏み外してバランスを失った。


ガラスだけが落下してしまい、


「ガッチャーン」


けたたましい音と共に、見事に粉々に割れてしまった。


階段の下側に人がいなかったため、怪我をする人もなく、足を踏み外したバイトも別に痛めたところもなくその点では幸いであったが、私にとっては嫌な思いをする事となった。


当然、お客さんにお詫びを言わなければならない。


時によっては賠償まで必要である。


そのことは承知していたが実際私自身物を壊したことはなかったため、お客さんに謝るのは初めてであった。


「誠にすいませんでした。会社の方に連絡して、賠償いたしますので。」

「あーいいんですよ。安物ですから。」


人のいいおばさんで、結構すんなりと許してくれたのである。


しかし、私はスッキリとこなかった。


何故私が謝らなければならないのだろうかと考えてしまったのである。


一様お客さんの手前私は運転手で、今回の引っ越しではいわば責任者のため、謝るのは当たり前である。


謝ること自体が気になったのでなく、私はバイトにも関わらずかなりの責任が私の身にかかっていることを自覚し、それが頭に引っかかったのである。


「運転中に事故を起こしたらどうなるのであろう?」


「非常に高価な物を壊したらどうなるのであろう?」


「何で自分が壊したわけでもないのに俺が謝っているのであろう?」


ちゃんと対応の説明を受けたこともないな~っ


しかもバイトにも関わらずである。


社員さんなら自ずと付いてくる責任であろうが、私は一介のバイトのはずである。


急に訪れたこの疑問は、私の中で結構簡単に結論をもたらした。


「これ以上、このバイトを続けてはならない」


この日の3件目の引っ越しを夜の9時頃終え、事務所に帰った段階でもこの結論は変わっていなかった。


学生にとっては大金であるこの日のバイト代を貰ったときは、これが最後のバイト代と考えていた。


私はこの手の決心をした場合は、意志が固い。


やはりバイトは大きな責任を負ってはいけないと、確信を持っていたのである。


これが正解かどうかは私には関係なかった。


これから社会人になると、自ずと付きまとってくるだろう’責任’というやっかい物を、今は意識したくないという強い感覚が私の中には存在し、学生時代は好きなようにやるのだと考えていたのである。


それがたとえお金に苦労をしてもである。


貧乏でも気楽に生きるのがその時の私のライフスタイルであったのだ。
 
この日をもって私は引っ越し屋をやめた。


この後、幾度となくバイトの依頼が私の元に来たが、私は全て断った。


お世話になった社長さんには非常に申し訳なかったが、私を運転手として期待しているバイトには戻れなかったのである。


何故私がバイトをしなくなったかは、社長には話さなかった。


たぶん急に嫌がるため何が嫌になったのだろうかと疑問に思ったことであろう。


しかし、バイトを運転手として使うことは社長の勝手であり、その事についてとやかく言いたくなかったのである。


ただ、いろいろな人の生き様を見せてくれた社長には、現在も非常に感謝している。


今は石川県に引っ込んで座卓屋さんになってくれていればと思っている。


今後、引っ越し屋をする事は一生ないであろうが、私にとって思い入れの一番深い職業であることは、一生変わらないであろう。


 引っ越し屋はおもしろい職業である。


おしまい