東京引越し屋ブルース

東京引越し屋ブルース その2

金魚



 引っ越し現場について、事務所で話に聞いていない原チャリやマウンテンバイクが見えたときは、嫌な悪寒が背筋を走る。急にエアコンを持っていきたいというお客もいる。狭い道があったり、シーズンで大きめの車がだせない時、荷物が見積りより多いのは、引っ越し屋の泣き所であり、同時に腕の見せ所でもある。

 蝉の声が耳障りな、じっとしていても汗が出る程の暑い日、今日の引っ越しは平屋の古い都営住宅から、福生市のマンションへの引っ越しである。2トンロングが別件の引っ越しに使われるため、運転手もこなせる先輩バイトの大木さんが2トンショートを運転し、私は軽トラを運転して合計2台の車で出かけることとなった。荷物はうまく詰め込めば2トンショートで何とかなるだろういう見積もりであり、少し余裕をもって軽トラを用意した。お客さんは30歳前後の若い夫婦の二人暮らしらしく、共働きで少し余裕がでてきての引っ越しと言うところだろう。

 今日の相棒は、頼りになる先輩バイトの大木さん。少し小太りで私より少し背は低いが、いつもニコニコしていて人当たりもよく、荷物の持ち方がうまいので一緒に重い物を持つときは助かる。普段はミニクーパに乗っているが、運転感覚があまりに違うはずのトラックの運転が、なぜけやけにうまい。積み込みもこなせるので、組むときはいつも仕事がはかどる相棒である。

 朝、事務所で打ち合わせてから2台のトラックで出かけた。もう一件の引っ越しは、社長と社員さんにバイトが2名(そのうち一人は食器などの詰め込み係のおばさん)の合計4名。トラックは2トンロングとショートの2台で、結構大きな引っ越しらしく既に出発していた。シーズンでもない真夏だというのに、今日は全員総出の稼ぎ時になってしまった。

 私と大木さんが担当する引越し先は、トラックで20分ほどの多摩川を超えたところにある。同じ形の小さな平屋が規則正しくならんだかなり昔の公営住宅らしく、今時あまり見かけなくなった建物であった。普通は、既に建て替えられてマンション風になっていそうなものである。全部同じ建物のため、お客さんの家がわかりにくいと思ったら、入口付近に地図の看板がたててあり、すぐに目的の家にたどりついた。

古くて小さな平屋のため、トラックが近づいただけでお客さんにも到着したことがわかったであろう。

と、軒下に積まれた段ボールの向こうに鎮座する原チャリが目に映った。

「もしかしてあれもか」

いやな想いがよぎる。

事前の見積もりと実際の荷物が違うことはよくあることだが、気分がいいものではない。その思いを振り払うように、

「おはようございまーす。運送屋でーす」

ガラガラと勢い良く引き戸を開けると、目の前のいまだ水が並々と入った水槽に、赤い金魚が悠然と泳いでいた。

「あっちゃー。もしかしてこれもか」

今日はハズレを覚悟した方が良さそうである。

なかからエプロン姿の奥さんが、パタパタとスリッパを鳴らして出てきた。

「おはようございます。お早かったですね。」

痩せがたで長髪を後ろに束ねた奥さんは、少し化粧が厚かった。

「この天気じゃその化粧は暑いだろ」

機嫌の悪さからくるこの言葉がのどまで出掛かって飲み込んだ。つづいて、私たちの背後となる玄関からご主人がのそっと現れた。

「よろしくお願いします」

 やけに日に焼けた顔に、横をまっすぐ刈り上げた頭のご主人は、GパンにTシャツ姿で、既に額に少し汗をかいていた。なかなか片づかない荷物を、朝から整理していたのであろう。にしてもいまだ悠然と泳ぐ金魚はいただけない。

 さて、荷物の片づけ具合はと、

「それじゃ、まず荷物を見ますので失礼します。」

 サンダルを脱いで奥に入っていくと、片づけ途中の段ボールがおいてあった。しかもその段ボールがいっぱい花が咲いている。花が咲いているというのは、蓋を閉めないで立てたままガムテープで角をくっつけた状態である。一見多くの荷物が入る様に見える段ボール箱のこの状態は、引っ越し屋からすると始末が悪い。蓋が閉められていないため段ボール本来の強さが発揮できず、さらに上に物を積めないのである。

「お客さーん。勘弁してくださいよー」

 大木さんと顔を見合わして、お互いに苦笑いしながらまたまた今にも口から出そうな言葉を飲み込んだ。

 荷物の片づけ状況と、詰め込み順序を確認するためにお客さんにことわりながら一通り家を確認して廻る。

 まず、奥の洋服タンスの戸を開くと、未だに洋服がびっしり。つづく和箪笥にも衣類がびっしり。冷蔵庫の中身はほとんど整理されていたが、押入には無造作に積まれたストーブや扇風機、ホットプレートなどが入っていた。箱に入っていないため、積み込みには始末の悪そうなものが結構多い。されに家には少し似合わない、高級な黒いステレオが居間の真ん中においてあり、横の肩ぐらいまであるラックにはCDではなくレコードがびっしり詰まっている。ステレオは未だスピーカとつながったままで、電気まで入っていた。

「うー」

 結構荷物も多い。

「お客さん、外のバイクは持っていくんですか?」

「あ、はい。持っていきます。自転車もあるんですが。」

「・・・・」

 食器棚や靴箱は片づけてあったが、全ての荷物をあわせると、2トンショートでは乗りそうもない荷物である。

「よかった。軽トラもってきといて」

ホットしたのもつかの間、窓の外を覗くと、玄関側から見えない家の裏に、小さな物置が見えた。

「この物置には何が入っているんですか?」

「あ、はい。スキーとか野球道具とかです。向こうのベランダに置けると思うんですけど」

「うー。・・・・」

中の荷物だけでなく物置自体も持っていくとの事である。これだと軽トラに目一杯のせても危ないぐらいである。ついに先輩バイトの大木さんが

「だいぶ見積もりと差があるみたいなので、ちょっと会社に確認してみます。電話お借りできませんか?」

と、切り出した。

確かに、話と違いすぎる。だんだん暑さも手伝っていらだってきた。

引越しの見積もりは、通常チェックリストで箪笥が2本、テレビが19インチ1台、自転車2台等と一つずつ確認して行って荷物の一覧を作るので、あまり食い違うことはない。ただ、非常に時間がなかったり、お金が高くなるのがいやで、ちゃんと伝えないお客さんがいて、たまに大きくズレたりする。社長や社員さんの時間があったり、引越しもとが近かったりする場合は、事前に見に行って荷物を確認するときもある。今回はなぜズレたのかはわからないが、見積もりとの差は大きい。私は交渉を先輩に任せて、いつも予備に載せてある段ボールを10個ほどおろしに行った。組み立てていない段バール箱を担いで家に入ってゆくと、電話でお客さんの奥さんと、たぶん社長の奥さんとが話しているのだろう。先輩にどうなったかを聞くと食器棚、物置、原チャリ、自転車の料金を追加して段ボールの追加や、荷物が多いのは目をつぶる事になりそうだとこ事である。私はまーそんなとこかなと思いながら、暇そうなご主人をつかまえて、

「お客さん、金魚もっていくんですよね。」

と探りをいれた。

「あ、はい。」

「水が入ったままじゃ水槽持っていけませんよ。あと金魚どうやって持っていくんですか?」

お客さんというのも忘れて容赦なく攻め込んだ。ご主人は、

「バケツに水をいれて持っていきます。」

「そうですか。じゃ、レコードと水槽の片づけよろしくお願いします。」

通常、片づけ具合が悪いと、すこしでも早く終わるために手伝うのだが、レコードは私にとっては特別扱いである。何故かというと、以前レコードを片づけようとしたときにお客さんに

「さわるんじゃねー」

と叫ばれたことがありるからである。今時ドーナツ版レコードをたくさん持っている輩は危険である。金魚も生き物なので、手を出さずに任せておくのがベストである。タンス類の整理もまだなので、私は洋服ダンスの衣類を先に降ろした段ボール箱に詰める作業を始めるため、箱を組み立てはじめた。今日の場合は、洋服ダンスを空にして車に積め込んだ後、軽い段ボールをタンスのなかに詰めていかないと、すべての荷物が載らない恐れがある。和ダンスもしかり。引き出しの荷物は箱に詰めず、引き出しをはずした後トラックに積み、衣類の入った引き出しをまたタンスに収めていくことで、荷物を減らすしかない。

お客さんから電話の受話器は先輩の大木さんに戻され、会社からの指示を先輩が聞いていた。多分追加料金を聞いているのであろう。ひとしきり話をした後電話を終え、先輩が私に近づいてきて、

「それじゃ、始めるか」

と気合を一発入れていた。

「まずは、タンス関係だな」

と、先輩も動きがきびきびし始め、洋服ダンスの衣類を詰め込み始めた。片付いていない引越しは非常に時間がかかる。前にも書いたが、引越し屋は荷物が多いことや、重いことはあまり気にしない。その分お金ももらえるわけだし、なれているから苦にもならない。それよりも、今回の様に片づけ具合が悪かったり、段ボールの蓋が立ててあるものばっかりはすごく嫌である、妙に荷物運びを手伝ってくれるが、重い荷物も本職(私はちょっと違う)に任せないで、手をだしたりするのにも閉口する。段ボールを受け渡すのに、地面に置くには上下運動がおおいため、土台としておいてある荷物まで、エッサホイサと持っていってしまう気が利きすぎるお客さんもいる。お客さんらしく、置く場所の指示や、事前の片づけをしっかりしてくれるのが、よいお客さんである。

まず、タンス類をトラックに載せた後、トラックの幌の一番上まで、隙間を段ボールで詰めていった。大木さんも詰め込みがうまいので、交互に荷台に上ってできるだけ効率よく詰め込んでいった。まるでパズルのごとく荷物を組み合わせ、隙間があればドンドン詰めていく。厄介ものの物置は軽トラに横にして置くことにし、原チャリも軽トラに載せることにした。食器棚やステレオを詰め込んで大方の大物家具を運び終え、小物の段ボール類を間に詰め込む作業に入っていった。小さな本棚もいくつかあり、間にいくら詰めてもだんだんトラックの隙間がなくなってきた。最後には冷蔵庫と洗濯器を詰め込まなければならない。

「うううきつい。」

押入の中からでてくる家電品の箱の山や、何故か今時大きな茶箱。

「もしかしてこれも持っていくのかー」

と叫びたくなる古いミシン。ハードケースに入ったギター等はしっかり場所を取る。お客さんに

「これ持っていくんですか?」

ともはや聞くのが恐い。

まだ、自転車一台も載せねばならない。荷台のお尻にある押さえを立てないで横にしたまま、一見荷台を伸ばす裏わざを使いなんとか自転車を固定した。とにかく、ロープと幌でしっかり固定し、荷台からは明らかにはみ出ているのだが、載ることは載った。まー、幌の上まで荷物がないだけましである(以前幌の上に2台の自転車を載せたことがある)。

「あれ?金魚はどうしました?」

お客さんに聞くと

「軽トラに載せました」

「水とかはこぼれませんよね」

「大丈夫です。ビニールでしっかり蓋しましたから」

「ふーよかった。」

積み込み後のお客さんの決まり文句の、

「どこにこんなに物が入ってたんでしょうね。」

とともに

「いやーよくも全部積み込みましたね」

の満足感。

最大積載量を越えてるのではと思わせるタイヤの沈みが、努力の跡を忍ばせる。これもまた引っ越し屋の醍醐味である。

「ふー疲れた」

最後に忘れ物はないか確認していざ出発である。

引越し先は福生市で、そんなに遠くない。ただ、武蔵野の南北の道は東西に電車が通っており多くの開かずの踏みきりがあるため、上手に渋滞を避けないと必要以上に時間がかかってしまう。1時間半ほどで、目的地のマンションに到着した。マンションは、タイル張りの上、6階建てで結構高そうである。引越しは4Fであるが、エレベータもあるので、台車に載せてころころと荷物を運べばいい。片づけ具合は悪かったが、いったん載せてしまってからは、ほかのお客さんと同じなのでもう苦労することはなさそうである。

到着してから荷物を降ろす前に、少し遅めの昼食をとることになった。近くにとんかつ屋があったので、そこに入って大盛りのヒレカツ定食を注文した。お客さんは一緒にこなかったので、会社もちの昼食である。東京のとんかつ屋は高いので、ヒレカツ定食はこのバイトでしか食べられない。ガツガツと嫌なことを振り払うかのごとくカツを食らった。でもうまい。お客さんはどこに食べにいったのだろう?とかミニクーパーの話をしながらの食事となった。

お腹いっぱいになって一息すると、目の前のひらがなで「こーひー四百円」の張り紙が目に入り、とんかつ屋にも関わらずコーヒーを頼んだ。すると、なんとコーヒーカップの上にモンカフェ(パック式のドリップコーヒー)が乗ったまま運ばれてきた。確かにここは喫茶店ではないから、コーヒーにこだわりはないであろう。でも、モンカフェでもいいから、入れた後にはずしてきてほしかった。そうすれば、とんかつ屋のコーヒーにしてはインスタントでなくて、おいしいという評価になったのに。

さあ、腹ごなしをしたので仕事である。戻ってみるとまだお客さんは食事から帰ってなかった。しかし、鍵もあいたままだし早く終わりたいので大きなものから運び始めた。エレベータを使うと時間がかかるが楽である。廊下を台車で運ぶとほんとに力を出さなくてもいい。角にぶつけて傷をつけるのを気をつけさえすればいい。10分ほどして、お客さんが帰ってきた。自転車を下ろし、冷蔵庫と洗濯機をおろしたところで目の前に大変なものが現れた。

「あっ」

荷物を隙間なく詰め込むために、中に熊のぬいぐるみが積み込まれた水槽がそこにあった。

「まずい」

「お客さん。金魚は!!」

私が叫ぶと、お客さんも

「あーっ」

ご主人が走って少し離れた所においた軽トラに駆け寄った。私たちも後を追った。

そこには水がこぼれない様にビニールで蓋をされたバケツがあった。ご主人がその青いビニールをとると、そこには赤い金魚が3匹ふかふかと横腹を見せて浮かんでいた。。BGMにモーツァルトの「レクイエム」が聞こえた。

「そりゃこの暑さじゃねー」

とも言えないので重い雰囲気が空間を支配した。

あの昼ご飯が駄目押しだったと思う。ただ、空気ポンプも入れず、この暑さのなか1時間以上もバケツにいれておけば、目的地に着くまでに息絶えていただろう。

今日は本当についていない日である。お客さんにとっても追加料金を取られた上に、大事な金魚も死んで散々な引越しだったろう。

引越し準備は周到に。生き物は大切に。今日の教訓である

アンテナ

 
私は世間的には引越し屋ではなく、大学生である。授業にはほとんど出ていなかったが、一応理系であり、電気の専門知識を学んでいることになっている。音が電波に乗ってラジオから聞こえる原理も知っているし、コンピュータがなぜ計算できるかも説明できる。私の周りに幾人かいるマニア系の友人は、ステレオを自作したり、ゲームソフトをプログラミングしてお金を稼いでいる輩もいる。そんな環境で生活している私が、世間知らずをひしひしと実感させられた引越しがあった。
その引越しは、マンションからマンションの引越しで、一人暮らしの35、6歳の女性がお客さんであった。社長と二人での引越しで、お客さんはどうもフリーのライターらしく、見た目もちょっとアーティストが入っている。荷物はさっぱりと少なく、食器類とインテリア系がやけに多かった。割れ物が多くて傷つきやすそうな荷物が多かったので、気は使ったが、荷物自体が少なかったので楽な仕事であった。別に取りたてて問題もなく荷物を入れおわったとき、お客さんが

「あのーアンテナつなぐことできます?」

といってきた。今日は次の仕事も入っていないし、ほとんど荷物を降ろすのも終わっている。さらに、トラックのコンソールには常時工具セットが入っているので、簡単につなぐことができるため、

「ええ、構いませんよ」

と引き受けた。

電気系の大学に通っている私にとってはアンテナ接続は、造作のないことで、どっちかというと本職に近い。ペンチを巧みに使い、アンテナ線の同軸ケーブルの被覆をむいて、マンションの共用アンテナ口にまず一方をつなぎ、もう一方をビデオにつないだ。社長も私を気にする様子もなく、ゆっくりと最後の方の小さい荷物を運んでいた。続いて、余っているケーブルでビデオとテレビを繋いで接続は完了である。テレビの電源をいれて大丈夫か確認してみると、ゴーストもないきれいな画面が出てきた。

「わあー。ありがとうございます。すごいですね。ついでにステレオもつなげません?」

お客さんが喜んでくれるのはうれしいので、

「いいっすよ」

と言って、ステレオとCDデッキやカセットデッキ、スピーカなどをさくさくと繋いだ。

「すごいですね。説明書もなしに。電気屋さんみたいですね。」

「そうですか」

誉められるとうれしいが、私にとっては特にすごいことではなく、私の友人にとってもまずすごいことではない。アンテナからテレビまでの接続は繋ぎ方は一つしかないし、ステレオの裏には色分けされたジャックと、CD、カセット、スピーカと記されたマークがかかれている。ステレオも電源をいれてみて、CDを再生してみると、左右両方のスピーカーから乾いた音が流れてきた。ちなみに試しにかけたCDはドリカムだった。別に引越し代には含まれていないが、喜んでもらえると私もニコニコである。社長さんが

「これで、終わりです。」

と、鉢植えの観葉植物を抱えてあがってきた。

お客さんから代金の受け取って領収書を渡して終了である。私はトラックから持ってきた工具を脇にかかえ、

「ありがとうございました」

と頭を下げて引き上げた。

トラックで事務所へ帰る途中、社長がポツリと

「あんまり、電気屋の仕事とるなよ」

と、つぶやいた。私は

「へっ」

と思ったが、あまり気にも止めずにトラックの外の景色を眺めていた。事務所で今日のバイト代を受け取り、

「失礼しまーす」

と引き上げようとすると

「またお願いねー」

社長の奥さんが声をかけてきた。

特別トラブルもないこの引越しの事は、じょじょに私の記憶から消えていくことになったが、数ヶ月後突如思い出されることとなった。

それは私が久しぶりに実家に帰ったときのことである。居間のテレビが21インチから29インチにグレードアップされており、S―VHSのビデオデッキもテレビ台に収められていた。話を聞くと、近くの電気屋さんが売り込みに来て、配線もすべてサービスでやってくれたと両親は満足げだった。私が実家にいると、このテレビとビデオの配線は私がやっていただろう。でも、私の両親にとっては、テレビのアンテナを繋ぐことはいくら取扱説明書に書いてあっても大変なことなのである。ましてやビデオを介してとなると難しさ数倍である。

そう、ここは電気屋さんの領域なのである。私がどんな簡単だと思おうと、世の中の多くの人が電気の話しは苦手であり、アンテナの配線だけでサービス料が取れる世界なのである。料金を取らなくても、お客に好感を与える絶好の機会を私は電気屋さんから奪っていたことになる。社長は、引越し屋が同じ客を何度も相手にすることが少ない業種と認識しており、お客を一時的に喜ばすことばかりが良いことではないぞと言いたかったのだろう。とはいえ、進んで仕事をする私を諌めるのも気が引けたのでもあろう。

私がこの後、引越しのお客に生活が余裕がありそうなとき、アンテナやステレオの接続は「専門外ですから」と断る事にした。ただ、福祉課の仕事や裕福さが感じられない時は、車から工具を降ろすときもたまにあった。すべての人を幸せにすることはできないし、共存ばかりを重視してよりよいサービスを追求しないこともまた、この業界では罪悪であろう。自分のとる行動が周りに与える影響を感じながら日々働くのは、なかなかシビアなものである。

社長さんの副業


 社長さんは実を言うと、手に職を持っている。引っ越し屋というよりは職人と言った方がいいくらいのすばらしい技術を持っている事に気付いたのは、バイトを初めて半年ぐらい経ってからであった。

いつものようにバイトの依頼の電話が入ったのでてっきり引っ越しだと思っていたのだが、その日は引っ越しではなく社長が作った座卓の納入であった。座卓と言ってもドラマで見られるちゃぶ台みたいな小さな物ではなく一辺が2m近くもあるでっかい座卓である。しかもほとんどが1枚の木を輪切りや縦割りにした物で真ん中から年輪が広がり厚みが15cm~20cmもあり、また座卓の足も20cm角のぶっとい物だったりする。樹齢何百年とかいう老木などざららしい。そういえば社長の家の裏には大きな倉庫と作業場らしき物があり、古そうな木材が山と積まれてある。倉庫で今までに手に入れた木材を、長期間寝かしているみたいである。作業場で作られた座卓は、表面がピカピカでずしりと重く運ぶのが大変なのである。一度、社長の作った座卓の展示即売会の用意にかり出された事があったが、付いていた値札にびっくりしたものである。だいたい標準的なもので70~80万円、ちょっと味があったり大きくボリュームがあったりすると100万円は軽く越えているのである。社長いわくこれでも相場よりは安いそうである。

この日のバイトは2人で、社長、社員さんをあわせて総勢4名である。4角をもって何とか運べる様なでっかい座卓の納入が今日の仕事である。当の座卓はどんな物かというと、大きさが2m×1.2mぐらいの木を輪切りではなく縦に切った綺麗なピカピカの座卓である。材木の種類は社長に聞いたのだが忘れてしまった。しかし、この木は北海道の湿原で埋まっていた物で、相当古い物らしく、木の材質自体が変化していて非常に重くていい物だと言っていたように記憶している。その言葉は大げさではなく、家の客間にこんな座卓があれば、訪ねてきたお客の話題になることは間違いないであろう。

納入先は三鷹駅前で、いったいこんな豪勢な座卓が置かれても負けないような大きくて立派な部屋が、東京の一等地にあるのであろうか?との疑問が沸いてきた。土地は高くても、ちっちゃな家ばっかりという印象が強いのが東京の一軒家である。とにかく行ってみるしかない訳で、トラックの荷台に厚手の布団を敷いて4人でやっとこさのっけていざ出発となった。三鷹までは結構すぐで、20分ほどで近くまでたどり着いたが、一方通行が多く、多少迷った後、お客さんの家に到着した。

「げげ。でかい」

最初の印象である。三鷹駅からほんの数分の場所のはずであるが、少し高めの塀に囲まれた敷地は3、4百坪はあろう。周りは何故か畑になっており、見晴らしは非常に良い。東京では最高の立地条件であろう。建物はというと、二階建ての少し古めの農家の様な縁側のある家であった。塀の中に入ってみるとココが東京であることを忘れてしまうぐらいのびのびと感じる。トラックをいれてバックで縁側のすぐ近くまで寄ることできるため、運び入れは思ったより簡単にいけた。高価な物のため、細心の注意を払って縁側に面した12畳ほどの和室に座卓を納めた。和室の真ん中に座卓を置くと、そのピッタリと調和することビックリである。豪勢な欄間と床の間にかかった掛け軸や、縁側から見れる大きな庭、最高の条件である。

社長は自分の作品が、最高の条件で使われる事に非常にご機嫌で、お客さんのご主人と共にご満悦のご様子である。出されたお茶をすする社長の顔は、正直言って引っ越し屋ではなく、座卓作り職人以外何者でもない顔に変わっていた。ひとしきり、満足感をお客ともども味わって、ほんの数時間のバイトを終えた。この時は、社長の事を非常に羨ましく感じたのを良く覚えている。

社長さんの豪邸の噂


 引っ越し屋は儲かるのであろうか?

 社長さんが住んでいる家は、結構ぼろい。古い木造の平屋で、中にある家具なども高級品などは置いていない。子供がいないのに社長は貧乏なのであろうか?私は運転手をするようになって、お客さんと直接料金の精算をするようになった。つまりどれくらいの料金を取っているかを把握できるのである。しかも自分が貰うバイト代を知っているわけだから、いくら社長の懐に入るか自ずと分かってしまうわけである。はっきり言って、引っ越し屋は儲かる。今の運送業界では競争が激しく、儲かるとは言い難いらしいが、少なくとも私がバイトしているときは儲かっていた。8万の引っ越しを2人でやった場合の人件費が3万、経費が1万としても残り4万の50%は純利益である。ぼろ儲けである。私も引っ越し屋をやろうかと思ってしまうぐらいである。じゃあ何故社長の家はぼろいのか?特に社長がケチで貯め込んでいるという様には見えない。私は常々疑問に思っていたが

「社長、なんでこんなぼろい家に住んでるんですか?」

とも聞けないので、一つの謎として私の中に残っていた。しかし、この疑問の答えは、ある日の仕事が終わった後で判明した。この日は仕事が終わった後に、社長が妙に機嫌が良くて、

「おう、ビールでも飲んでいくか。」

と一杯誘ってくれたのである。私も酒が嫌いな方ではないので、

「あ、いただきます。」

と返したわけである。さすがに力仕事の後のビールは格別で、最初の一杯のうまいことうまいこと。社長の家の冷蔵庫に入っているビールをあっという間に飲み干してしまい、私はお腹に社長の奥さんが作ってくれたつまみしか入っていなかった事も手伝って、視点が合わないぐらい酔っぱらってしまった。社長は元々酒が強いため滅多に酔わないらしいが、今日は私のペースに合わせてガンガングラスを空けたためか顔が真っ赤になり、気持ちのいいことこの上ないという雰囲気であった。

「社長、今日は上機嫌ですねー。」

「おーいいことがあってな」

「いいことってなんですか?」

「おー家ができたんじゃ」

「へ、家ですが?」

「おう、石川の里に土地買って、家建てたんじゃ」

げ、金あるやんけ。とでも言いたい気分であった。やっぱり引っ越し屋は儲かるのである。この後、社員さんやバイト仲間の話や噂を総合した社長の家とは、

所在地:石川県

敷地:約300坪

建坪:約100坪

建物:木造の平屋

庭:池があり、周りは塀で囲まれる。

である。子供がいない社長夫婦には、老後にはさびしいのではないだろうか。この話を聞く限り、社長は後1年ぐらいでこの引っ越し屋をやめ、田舎に引きこもって副業の座卓製作を生業として暮らして行くつもりらしい。それくらいの蓄えはできたみたいである。少し私はうらやましいが、まだ東京で暮らし、遊んでいたい気持ちの方が私を支配していた。

引っ越し屋をやめるとき

 
 大学3年の終わり、ちょうど引っ越しシーズンが始まる頃であろうか。その日は目一杯仕事が詰まっていて、私は運転手としてバイトを引き連れ(私もバイトであるが)1日3件の引っ越しをこなさなければならなかった。朝は6時半から仕事を始め、終わるのはうまくいって夜7時か8時てところであろうか。1件目は男子学生の一人暮らしでアッという間に運び終えたが、次の引っ越し元に向かう道が混んでいて、時間を浪費してしまった。実際引っ越し屋は、タクシーの運転手並に道を熟知していて、ほとんど最速の道を使う。しかし、時にははずれる事もある。渋滞につかまって、車が動かなければ遅れるのは仕方がないことである。私も引っ越しの運転手をやるようになって、社長から多くの裏道を教わって、渋滞情報や抜け道にはやけに詳しくなったが、この日は渋滞に突入してしまった。

次の引っ越しもとに遅れること1時間、

「遅れてすいませーん、運送屋でーす。」

「ごくろーさまです。よろしくお願いします。」

40歳ぐらいのおばさんが一人玄関から出てきた。木造アパートの2階からマンションの5階への引っ越しである。結構長いこと住んでいたのであろう。家具の後ろなどはほこりの山となっている。のんびりなどしている暇などなく、とにかく早く終わらさなければ次のお客にも迷惑をかける。挨拶もほどほどに早速引っ越しにとりかかった。荷物の量は、2トンショートにはぎりぎりと言ったところである。大きなタンス一つと冷蔵庫は新しく買い換えるとのことで、幾分荷物は少なくなったため助かった。

これらの荷物の中で私が引っ越し屋をやめるきっかけとなった物があった。別に取り立てて珍しくない普通の物である。それは鉄のパイプとガラスでできた小さなテーブルであった。色はパイプ部分が黒色で、大きさが1mの正方形の形をしており、そんなに値段が張るような品物ではない。5000円もしないだろう。通常、そのたぐいの物はガラスを取り外して梱包材でつつみ、パイプの部分は別に運ぶ様にしている。しかし、その日は急いでいたためであろうか、助手がガラスを取り外さずにそのまま一緒に運んだのである。 このテーブルはパイプにガラスがのっけられただけの物である。運が悪い事に、助手がテーブルをもって階段を下りる時に、一段足を踏み外してバランスを失った。ガラスだけが落下してしまい、

「ガッチャーン」

けたたましい音と共に見事に粉々に割れてしまった。階段の下側に人がいなかったため、怪我をする人もなく、足を踏み外したバイトも別に痛めたところもなくその点では幸いであったが、私にとっては嫌な思いをする事となった。当然、お客さんにお詫びを言わなければならない。時によっては賠償まで必要である。そのことは承知していたが実際私自身物を壊したことはなかったため、お客さんに謝るのは初めてであった。

「まことにすいませんでした。会社の方に連絡して、賠償いたしますので。」

「あーいいんですよ。安物ですから。」

人のいいおばさんで、結構すんなりと許してくれたのである。しかし、私はすっきりとこなかった。何故私が謝らなければならないのだろうかと考えてしまったのである。一様お客さんの手前私は運転手で、今回の引っ越しではいわば責任者のため、謝るのは当たり前である。謝ること自体が気になったのでなく、私はバイトにも関わらずかなりの責任が私の身にかかっていることを自覚し、それが頭に引っかかったのである。

「運転中に事故を起こしたらどうなるのであろう?」

「非常に高価な物を壊したらどうなるのであろう?」

「何で自分が壊したわけでもないのに俺が謝っているのであろう?」

しかもバイトにも関わらずである。社員さんなら自ずと付いてくる責任であろうが、私は一介のバイトのはずである。急に訪れたこの疑問は、私の中で結構簡単に結論をもたらした。

「これ以上、このバイトを続けてはならない」
である。
この日の3件目の引っ越しを夜の9時頃終え、事務所に帰った段階でもこの結論は変わっていなかった。学生にとっては大金であるこの日のバイト代を貰ったときは、これが最後のバイト代と考えていた。私はこの手の決心をした場合は、意志が固い。やはりバイトは大きな責任を負ってはいけないと、確信を持っていたのである。これが正解かどうかは私には関係なかった。これから社会人になると、自ずと付きまとってくるだろう’責任’というやっかい物を、今は意識したくないという強い感覚が私の中には存在し、学生時代は好きなようにやるのだと考えていたのである。それがたとえお金に苦労をしてもである。貧乏でも気楽に生きるのがその時の私のライフスタイルであったのだ。

この日をもって私は引っ越し屋をやめた。この後、幾度となくバイトの依頼が私の元に来たが、私は全て断った。お世話になった社長さんには非常に申し訳なかったが、私を運転手として期待しているバイトには戻れなかったのである。何故私がバイトをしなくなったかは、社長には話さなかった。たぶん急に嫌がるため何が嫌になったのだろうかと疑問に思ったことであろう。しかし、バイトを運転手として使うことは社長の勝手であり、その事についてとやかく言いたくなかったのである。

ただ、いろいろな人の生き様を見せてくれた社長には、現在も非常に感謝している。今は石川県に引っ込んで座卓屋さんになってくれていればと思っている。今後、引っ越し屋をする事は一生ないであろうが、私にとって思い入れの一番深い職業であることは、一生変わらないであろう。

引っ越し屋はおもしろい職業である。

おしまい

***おまけ***


最近自分の引っ越しをした。引っ越し屋を止めてずいぶん経つが、なぜか意地になって運送屋に頼まずに車を借りて自力で引っ越した。

結論:きつい。

さらに結論:引っ越しするときはちゃんと引っ越し屋に頼むべき。
使用BGM:弾むキモチ
順路:バイクホームへ