「おい、気を付けろよ。重いから。」
両手の拳を肩の上に持っていき、上に向けて引き上げる形の独特な持ち方で、2ドアの冷蔵庫を背中に担いで階段を登っていると、後ろから社長が声をかけてきた。冷蔵庫を一人で運ぶのにこんな持ち方が楽なことは、普通の生活をしていても分からない。大学3年生の私は今日、一ヶ月ぶりに引っ越しのアルバイトをしていた。
学生時代は、時間はあるがお金がない。欲も強いがそれを満たす先立つものがやっぱりない。自ずと時間にまかせてアルバイトに精を出すわけである。私も人並みにアルバイトを幾つか経験した。家庭教師、交通量調査、ゲームセンターの店員、映画の現像所の暗室作業、バイクオークションの運転手、そして引っ越し屋とその他単発で数種類のアルバイトを経験した。一番長く続いたのは、住んでいた下宿のすぐ横にあった映画現像所の暗室作業であったが、一番印象に残っているのは引っ越し屋である。
引っ越し屋と言われて通常の人が頭に抱くのは、汗だくだくで階段をタンスを担いでエッサエッサと運んでいるような”きつい”という印象であろう。この体力的な”きつさ”を回避するいろいろな手だてはあるのだが、私が心に残っているのはこの”きつさ”ではなく、引っ越し屋が持っている普通の人がしたくてもできない特権のことである。それはつまり、堂々と他人様の家の中に上がり込んで、隅々まで観察できること。東京に住む多くの人々の生き様を目の当たりにできることは、田園広がる田舎から上京してきた世間知らずの若者にとって、新たな世界を垣間みることであり、引っ越し屋として目にした路地裏の生活は、一度に他人の苦労や幸せを自ら経験したような錯覚にも似ており、少し自分が成長した様な気がしたものである。柱に付いた傷や、部屋に残る独特のきな臭さでさえ、そこに住んできた人々の生きてきた証であり、引っ越し屋は、それらを一度に目にできた貴重な経験であった。
私がアルバイトしていたのは、非常にこじんまりとした引っ越し屋であった。トラックは、2トンロング1台、2トンショート2台(文字どうり2トン車の長いタイプと短いタイプ)、軽トラック1台ですべてである。従業員は、自分で仕事もする40代はじめの社長と、30代半ばの社員1名、後は学生のアルバイトでまかなっている小所帯であった。
運搬力が小さいため、大きな屋敷などの大規模やお金持ちの引っ越しは、”引っ越しセンター”と呼ばれる大手がほとんどやってしまい、この引っ越し屋でまかなっていたのは、独身者や、せいぜいマンション程度の引っ越しがほとんどであった。そのためか、あまり豪勢な屋敷にお目にかかる機会は、少なかった。その他、市の福祉課から、生活保護を受けているような老人の一人住まいの引っ越しなども請け負っていた為、意外と世間の相場より安く請け負っていた事も手伝ってか、苦労人や訳ありのお客が多く、生き様という面では多岐にわたっていたように思える。
事務所は私の住んでいた下宿から歩いていけるところにあり、学部の先輩の紹介でバイトを始めた。大学1年の後半から3年の後半まで約2年間、月に1、2回のペースで働いていたが、春先の引っ越しシーズンには5日連続でバイトしたこともあった。さすがに時給の面では、他にやっていたバイトの1.5倍ぐらいで、お金がないときなどは非常にありがたかった物である。経験を積んだ後、運転手をやっていた頃は、通常のファーストフードのバイトに比べると3倍ぐらいの時給はもらっており、貧乏な生活が2、3日のバイトで豪勢な食事に変わることも結構あったのを覚えている。
アルバイトを初めて間もない頃は、通常助手としてひたすら荷物を運ぶ役である。古い公団の五階建ての建物に当たったものなら悲惨である。そんな場合に限って、おっきな荷物が山盛りである。その頃の引っ越しで、田舎でぬくぬくと育ってきた私には少しショックキングな人生の一端を、目の当たりにした仕事に出くわした。
朝トラックに乗って引っ越し現場に向かうとき、運転手をしている社員さんがぽつりと
「引っ越し先の住所を大家に聞かれても、助手なんで聞いてませんと言っとけよ」
と言ってきた。私は何でだろうと不思議に思ったがとりあえず
「はい」
と素直に返事をしてトラックの助手席に座っていた。1時間ぐらい経って現場に着いてみると、小さな一軒家というか、離れの様な小さな家が、大家の家らしき2階建ての建物の横に併設している東京ではあまり見られない形態の建物であった。どちらの建物も築20年以上の古い木造建築である。
玄関を開けると、お客さんと思われる少し痩せた目のたれた35歳位の男性と、その奥さんらしき女性ががでてきて、かなり小さめの声で、
「どうもご苦労さんです。お早かったですね。」
と挨拶をしてきた。引っ越しの時、いつの場合も到着して一番最初に気になるのが荷物の片づけ具合である。すっかり段ボール箱に詰め込み終わって、さあどうぞと言わんばかりの客ならしめたものだが、多くの場合、いきなりの一言が
「どーもすいません。まだあんまり片づいてなっくて」
という言い訳から始まるのが常である。これだとしかたなく料金には基本的に含まれていない荷物の詰め込みから始めなくてはならず、
「それなら詰め込みサービスを利用しろよ」
とつぶやきながら、食器を梱包材でくるんだりするのである。今回のお客の場合、玄関からのぞく奥の部屋の片づけ具合は80点てところで、心では
「よし、楽勝か?」
と思いながらサンダルを脱ぎ始めたところ(ちなみに引っ越しをする場合しっかりと安定したサンダルが一番いい。かかとがつぶれた運動靴みたいな履き物が一番具合がいい。家に上がったり降りたりがしょっちゅうあるためである)、お客さんの
「あのー」
と申し訳なさそうな言葉に続いて、
「大家さんに引っ越し先を聞かれても言わないでください」
と言ってきた。運転手である社員さんが
「聞いてます。聞いてます。」
と返事をすると、安心したような面もちでお客さんが
「それから持っていかない荷物があるんですがそれには印をつけておきましたから」
社員さんは辺りを見回して一つ椅子を見つけると、
「このシールですね。わかりました、わかりました。」
この社員さんは、癖で同じ言葉を繰り返す。お客いわく、
「そうです、そうです。それじゃ私たちはココお願いします。この場所で待ってますので」
もってあった手書きの地図のある場所を指し示すと、それを社員さんに手渡して、
「できればなるべく静かに願います。」
とだけ言って、お客夫婦はそそくさと出ていってしまった。ちょっとおかしい。普通なら家族の誰かが引っ越しにはつきそうものだが、家には私たち引っ越し屋だけになってしまった。荷物が片づいているため、特にお客さんが必要な訳ではないので、私は何か変だなと思いながらも家に上がり込んで荷物を運び始めた。社員さんも、なに食わぬ顔で黙々と荷物を運び始めた。
良く見るとこの家は外見以上に結構傷んでいる箇所が多い。どうも子供がいるみたいで、襖はぼろぼろ床は傷だらけ、柱は何か彫ってあって壁には落書きだらけであった。荷物にも子供のおもちゃが幾つか見られ、二人は子供がいるな、と言う感じであった。1時間もしないうち、荷物が半ば運び終わった頃ひと休みしていると、玄関がいきなりガラガラと開いて
「あらー、なによこれ!!」
結構貫禄のあるおばさんがはいってきた。私はなんだ、なんだ、という感じであったが、そのおばさんドコドコとあがってきて
「あんたら運送屋さん?岡本さんはどこにいるの?」
岡本さんは今回のお客さんの名前である。社員さん全くといっていいほど平然として、表情を変えず、
「だいぶ前に出ていきましたけど」
怪訝な顔をしておばさんは、
「いやーなんだろね もー、私大家だけど、なにも引っ越しなんて聞いていないわよ」
念入りに辺りを見回している。痛んでいる柱などをピクピクッと反応しながら、一通り眺めた後、
「岡本さんはどこ?あんたら知ってんでしょ。これどこに運ぶの?」
貫禄のある体からどっと質問が押し寄せてきた。社員さんは冷静に
「会社からは聞いてませんよー。一端うちの倉庫に預かるとか言ってましたよ。私らはただの運送屋ですから。」
社員さんは落ちついている。大家おばさんは鬼のような形相で
「どうするのよー。ここ二カ月の家賃ももらっていないのよ。それにこんなに家を傷めて敷金だけじゃ足りないわよ。行き先を教えなさいよ。」
「聞いてないから教えられませんよ。岡本さんに聞いてください。」
社員さんは、岡本さんが二度とココに現れないのを知ってて言っている。
「おい、そろそろ始めるか。」
私たちは、再び黙々と荷物を運び始めた。引っ越し屋は荷物が整理されていると、素人が思っているより異常に速く荷物を運び出す。荷物の持ち方や順序を知っているためであろう。大家のおばさんの苛立ちを隠せぬ顔の横を、せっせと荷物を運び出す。大家さんは、何かぶつぶつ愚痴をもらしながら家の中を動き回っている。あともう少しで運び出し終了という段になって、
「この荷物なによ!こんな汚いものおいたままにするの?持っていってくださいよ!」
言わずとしれたシール付きの荷物である。さすがに運ぶ必要のないものだけあって使いものにならない家具やこわれたおもちゃなど、どう見てもいらない。ココでも社員さんは飄々として
「置いておいてください、ときいてますのでもってけませんよ。岡本さんにいってください。」
そのまま大家さんの絶え間ない愚痴を後目に荷物を運びだし、そそくさと
「終わりましたので失礼します。」
みょうに丁寧に礼をして家を出ていこうとした。大家おばさんは最後にもう一度
「行き先知らないのほんとに!こんなに物置いてかないでよ!」
と半ば泣き声で言っていたが、社員さんは私に向かって
「さあ行くぞ」
と言って、さっさとトラックに乗ってしまった。私もおばさんがかわいそうだなと思いつつも助手席に乗り込むと、トラックは発進してしまった。社員さんは少し小さな声で
「私たちのお客さんは、今日は岡本さんだから」
とだけ言って黙々と運転をし始めた。1kmぐらい走った左手の駐車場に、今日のお客さんの岡本さんが車に乗って待っていた。中には子供が二人乗っていた。その車は傷だらけで、片方のライトが完全につぶれている私が子供の頃に見たモデルの白いギャランシグマであった。
「どうもすいません。大家さんに気づかれましたか?」
社員さんは、
「ええ。行き先を何度も聞かれましたが言ってませんので」
岡本さんはほっとした表情で
「ありがとうございます。」
この後、公団の2階に引っ越しを済ませた。この日、引っ越しアルバイトの最大の楽しみであるご祝儀が(ご祝儀はバイト代に関係なくとっぱらいで、働いた人での頭割りである。現在はあまりこの習慣はない)社員さんと二人で千円だったのにはがっくりきたが、苦労で痩せているご主人の申し訳なさそうな顔を見ると、まあしかたないかと500円ずつ社員さんと分けて顔を見合わした事を今でも覚えている。東京ではこの手の引っ越しが結構多い。
学生のバイトにとっては、お客さんが若い女性だとパワー全開である。出会いやときめきはあり得ないことは分かっているのだが、でも男のお客さんの引っ越しに比べると、元気が出てくる。一人暮らしの女性の部屋に入れるわけで、これだけで男子学生にとっては心ウキウキなのである。
あさ事務所に行って
「今日は一人暮らしの女性のだから、2トンショート1台で行って来い」
とか言われると、お客さんが若く美人であることを心から願っている。
バイトも1年半ぐらいやっていると、人手が足りないときなど私が運転手をやって後輩体育会系バイト等を一人引き連れ、社員さんなしでこなすことなどが出てきた。社員さんがいなくていいのだろうかと我ながら思ったものだが、そこは小さな引っ越し屋の機動力なのだろう。3月の引っ越しシーズンのある日、引っ越し件数が全部で7件ぐらい重なっていて、この日私は運転手をすることとなった(ちなみにシーズン中は1日2件程度引っ越しをこなす。私は朝7時から真夜中の12時までで最大4件こなしたことがある。どんなに夜遅くてもこの日に引っ越しがしたいと言う人が結構いるのである)。ラッキーにもこの日は、女子短大に入学した女子大生の引っ越しであった。助手のバイトと一緒に現場へ向かうトラックの中での会話は、弾んだことこの上なしである。神奈川から吉祥寺のはずれへの引っ越しである。無理すれば通学はできないことはないが
「一人暮らしがしたーい」
と、だだでもこねたのであろう。想像力抜群の私と助手は脳みそをぶくぶくと膨らませた。東京の一等地での一人暮らしに期待溢れているだろうと、膨らむばかりの想いを胸に、引っ越し元へとトラックを走らせた。
着いてみると、小さめの2階建ての庭付き一軒家でごくごく平均的な家庭みたいである。
「おはよーございます。運送屋です。」
中からお母さんらしきおばさんが、ニコニコと出てきて
「あー運送屋さんね。はやかったですね。今日はどうもよろしくお願いします」
と丁寧に挨拶をしてきた。当の本人の花の女子大生はまだ顔を現さない。お母さんに2階の部屋に案内された。ここに女子大生はいるに違いない。
「失礼しまーす。ガラ、ガラ、ガラ」
部屋には家具のほかに完璧に詰め込まれた段ボールが、20個ほど山と積んである。しかし当の女子大生は、この部屋にはいない。
「なぜもったいぶるのか?」
「見せるだけで金が取れるほど美人なのか?」
「もしくは見れないほどの顔なのか?」
かなりイライラしてきた。
部屋は8畳の畳敷き。しかし女の子の部屋とはっきり分かるほどの面影はすでにほとんどない。壁などに掛けられているはずの小物は姿を消し、机やタンスのデザインが女の子が選ぶ様なかわいい家具と言う程度である。一通り部屋の観察を終えたら、本来の仕事に戻らなければならない。しっくりと来ない気持ちのまま、まずはタンスを運び始めた。荷造りは完璧である。小さなタンスの中身は全て取り出してあり、引き出しは運び出すとき飛び出さないように、かつ跡がつかないように布のガムテープで止めてある。これだとちょっとくらい重くても平気である。段ボールもガムテープですでに蓋をしてあり中に何が入っているのかを書いてあるため、運びやすい事このうえない。前にも書いたが、荷物がこのような状態だと、ホンの30分もあれば荷物を運び終える。気にするのは運ぶ順序だけである。
引っ越し屋でかなり技術がいる一つとして、トラックへの荷物の詰め込み方がある。荷物が多い場合は持ってきたトラックに全て載せなければならないし、荷物が少なければ荷物が崩れてこわれたりしないように積んでいかなければならない。最初に運び入れる大きな荷物を運び終えると、運転手は普通この詰め込み作業専門になる。トラックで段ボールなどの小さな荷物が来るのを待っていて、運んできた荷物を上手に積め込んでさえいればいいのである。この詰め込み作業は簡単そうに見えるが、結構慣れるまで難しい。荷物がおおいときは高く積まなければならず、重さ、形、大きさを考えてまるで積み木のように組み合わせなければならない。一筋縄では行かないのが普通である。
私はこの時期詰め込み作業を社員さんと同じレベルでこなせるようになっており、こうなると運転手としてまかせられるようになるため、時給もグンと跳ね上がるのである。しかし今回の荷物は大きなものとして机とタンス、後はほとんど段ボールの中に詰め込まれているだけで、考える事なんてほとんどない。平積みのまま、タンスを倒れない様にゴムのロープで固定程度である。なんて楽な引っ越しであろうか。荷物を詰め込み、固定していつでも出発できる状態になるまでホンの4、50分、少し汗をかくか、かかないかの労働である。
お母さんがこの様子を見て、
「あーさすがプロ。あっと言う間ですね。お茶を用意する暇もない。」
私は半分素人のアルバイトである。
「お気を使わないでください。もうすぐ終わりますので。」
「まーそう言わずにお茶でもどうぞ。じゃあ、そろそろ私も行く用意をしないとね。」
「ん?」
うすうす恐れていたが、このおばさんが一緒に行くらしい。
「お茶など出さずに娘出せ!」
と喉まであがってきた。
2トントラックは、座席に横1列に3人乗れるため、車のないお客さんなどは良くトラックに乗っていゆくのである。このおばさんは、そのことをを良く知っているかのごとく、何も聞かずに家の奥に入っていき、小さなバックを持って出てきた。助手のバイトと共に横に女子大生が乗って、話に花を咲かせながら引っ越しができると期待していた引っ越し屋二人は、横に乗ったただのおばさんを見て、今にも溜息をつきそうな顔で出発の時を迎えた。
「それじゃ出発します。」
物悲しいディーゼルエンジンの音と共に車は出発した。
運転途中は世間話に終始した。実際はものすごく不機嫌なのだが、そこは客商売である。そんなそぶりも見せず、天気の話から始まるまるでおばさん同志の様な取り留めのない話を、2時間ほどして引っ越し先のマンション近くまでやってきた。おばさんが、
「あれです。あの高いマンション!」
周りの建物より少し高く、6階建ての少し光沢のある青いタイルで包まれた新しいマンションであった。マンション前への通じる小道へ曲がる前に気付いたのだが、入口に面する道が狭くかつ一方通行である。どうもその反対側に来てしまったらしく、トラックを入れることができない。その狭い通りに入る前に一度車を降りて入口に至るまでの道の様子を確認した。
「んー困った。」
どう見ても、マンション前の一方通行の道に入る曲がり角を、トラックが通れないのである。角に電柱が立っていてさらに狭くなっている上に、角の家の植木がズズッとはみ出してきてトラックの幌に当たるのである。
「困った。」
引っ越しでは実を言うと荷物の重さはピアノみたいに異常に重くない限り、あまり問題にならない。荷物の体積と運ぶ距離の方が問題なのである。荷物を持ったまま長い距離を運ぶことは、たとえ荷物が軽くともすごく疲れるのである。要は一番重いのは人間の体なのである。この事情から、運転手はいかに運ぶ距離を短くするかにかなりの神経を注ぐ。
今回などは一番やっかいなケースで、最悪の場合、少し離れた駐車場などにトラックを止めて、荷物を持って歩くことになるわけである。少し考えた後、一方通行の通りの出口から、マンションの入口までバックでトラックを入れることにした。
これまた大変である。トラックではバックが難しい。バックミラーは荷台で役に立たず(何故付いているのだろう)、サイドミラーのみでバックするのだが、ほとんど何も見えず、助手の誘導が肝心である。幅が狭い通りにバックで曲がって入って行くなど神業に近い。最初の一方通行の出口からのバックが苦労した。何回か角の塀に触ったが、ゆっくりゆっくり何とかマンション入口までバックでたどり着いた。何故かその間、おばさんは車の中に心配そうに乗っていた。マンションに着いたら、普通トラックなど気にせずさっさと部屋に入っていくのものなのだが、私たちが右往左往していたのがおもしろかったようである。
30分ほど車をつけるのにかかってかなり疲れたが、ゆっくりしている暇などない。一方通行だから車が来たら今までの苦労が水の泡である。まあ通りの入口からトラックが見えるし道がせまいため、よっぽどの事がない限りトラックを動かす必要はないだろうが、あんまり長いこと止めてあるとさすがに迷惑である。
「よし、はじめるぞ。」
運転席からおりて、まず部屋とそこまでの経路の確認である。今回は2階のため、エレベータがいいか、階段がいいか。狭いところはないか、傷つけてしまいそうなところには毛布などを当てなければならない等、確認することは結構ある。しかしその第一段階からつまづいてしまった。入口の自動ドアが、セキュリティシステムになっていて暗証番号を入れないと開かないのである。この種の自動ドアは建物の中からは人がドアに近づくと自動に開くが、外からは簡単には入れない。荷物を運び入れるときは大変なのである。通常は管理人がいて常時あけておけるようなスイッチを入れてくれるのだが、どうも今は不在の様である。おばさんは暗証番号をおして自動ドアを開け、階段をあがって部屋に入っていた。私たちも自動ドアのことが気になっていたが、後を追って通路の確認をしながら付いていった。おばさんが急に大きな声で、
「まー、なんであんたいるの?」
誰か怪しい人間がいたのかと急いで部屋に入っていくと、そこには結構ぽちゃっとした長髪の目のパッチリした若い女性が立っていたのである。相次ぐ問題の発生のため、女子大生のことなどすっかり忘れてまじめな引っ越し屋に完全に戻っていた私と助手は、目の色がキラッと光った。
「これがあこがれの夢見る女子大生か」
と感激である。感激からか私は少しどもって、
「お、おはようございまーす。」
その女子大生はニコッと笑って、
「よろしくお願いします。」
声もかわいらしく、予想以上の美人に私は満足していた。しかしちょっとおばさんの様子がおかしい。
「おじさんのとこに行ってなさいって言ったでしょ。どうしたの?」
結構、機嫌が悪い。
「ちょっと掃除に手間取っちゃって。思ったより来るのが速かったから。」
等と二人で小声でブツブツ言い争っているのである。ここで私たちは気付いた。そうである。われら引っ越し屋にこの美人女子大生を会わせたくなかったのである。そんなに私たちは信用がないのか?確かに美人は好きだし、女子大生も大好きである。しかし、どんな美人であろうが引っ越しが終わったらただの他人であり、東京ならもう会うこともないであろう。家を知っていようが公私混同などするわけがない。たとえバイトであろうがそれくらいの常識ははもっているし、破ればほとんど犯罪である。怒り心頭である。たぶん助手も同じ気持ちであろうが、見るとニコニコしている。悲しいかな客商売ではこんな時でもにこやかに仕事をしなければならず、助手の態度になんて大人なんだと気を取り直し、
「荷物運び入れますよ。」
と憎きおばさんに声をかけた。
「あ、お願いします。」
こんな仕事はさっさと終わらしてしまえと考え、気持ちを切り替えた。こうなると問題は自動ドアである。いろいろと自動ドアを観察してスイッチなどを探したが、どうも管理人室内にあるようで見あたらない。しかたなくお客さんに荷物を運ぶたびに建物の内側からドアの前に立ってもらい、ドアを開ける事にした。部屋の中に荷物の置場所を指示する人が一人いるため、自動ドア係は美人女子大生に任命された。荷物の積み込みと違い、運び入れには運転手もフル稼働である。荷物を持って自動ドアの前に立つ度に、美人女子大生がドアの前に迎えに立ち笑顔で迎えてくれるわけである。私の機嫌はこの瞬間は良くなり、部屋に運び入れる時点では、おばさんの指示に従わなければならず、私の機嫌は最悪になる。このサイクルを何度となく繰り返す事となった。最後の方は、美人女子大生の笑顔の方が勝り、かなり機嫌も回復して運び入れを終了することとなった。
ドアの前を通る度に聞ける美人女子大生の
「たいへんですね」
とか、
「がんばってください」
という激励の言葉が心地よかったのである。この子は箱入り娘で、おばさんは自分の手元を離れるのが心配で心配で仕方がなくこんなセキュリティの厳しいマンションにしたのだな、と思いながら、
「終わりました。」
と過保護心配性おばさんに伝えた。お金の精算を済ませ、最後に二人並んで見送りにでてきた。
「ありがとうございました。失礼します。」
「お疲れさまでした。」
二人並んでみると良く似た親子である。肌にハリがあり、表情が元気いっぱいで明るさにあふれた美人女子大生に比べて、おばさんの顔には気苦労や他人への懐疑によって皺が刻まれ、体型も変わっているのをみると人生の重みを感じずにはいられなかった。使用前、使用後といった感じである。この純情な美人女子大生も、こんな都心に住んだらあっと言う間に男ができてケバくなっちゃうんだろうな、とすこし悲しい気持ちのままトラックに乗ってエンジンをかけた。
帰りのトラックの中での助手はニヤニヤして、
「いやー美人でしたね。あの女子大生。お近づきになりたいな。会いに行っちゃおーかな。」
と言っていた。どうも、私たちが信用されていなく、娘を会わせないようにしていたことは全く気付いていなかったようである。今の助手の言葉だけを聞くと、あのおばさんの取ろうとした行動は賢明のようである。人生での経験のなせる技であろう。私は事務所に連絡を入れて、次の引っ越し先に向かった。
私が働いていた引っ越し屋は、先にも書いたように市の福祉課からの引っ越しを請け負っていた。一人暮らしの生活保護を受けている高齢者の、住んでいる建物の建て替えや諸々の事情による引っ越しなどは、やむを得ず市が引っ越し屋に依頼することもあるようで、月に2、3件の依頼があった。私はこの福祉課の仕事が好きではなかった。別に高齢者が嫌なのではなく、身よりのない高齢者の生活状況が嫌だったのである。
初夏の平日、ほとんど授業に出席していなかった私は、前日に来たバイトの依頼を引き受け、朝7時頃事務所に顔を出した。今日は社員さんが休みの様子で、
「今日は福祉の一件だけだから。」
と、社長さんが朝ご飯を食べながらもぐもぐと言ってきた。引っ越し屋の朝は早い。だいたい7時ぐらいに朝御飯を食べ、7時半位に出発し、引っ越し先に付くのが8時半とか9時という調子である。朝早いため、バイトにも朝御飯が用意される。一人暮らしの学生にとっては、温かい朝御飯が用意されているのはとてもありがたく、私にとってはこのバイトの魅力の一つでもあった。お腹をいっぱいにさせ、車の掃除をして出発となる。今日は2トンショート一台である。
2トンショートは、都心の引っ越しには一番便利な車である。車幅や全長はほとんど乗用車と変わらず車高が高い程度なので、高ささえ気をつければどんな道でもまず入っていける。荷物も通常の東京の狭めのマンションなら1台で乗ってしまう。だいたいの引っ越しをこなせる車なのである。
今日の引っ越し元は、市の南のはずれの古いアパートの2階であった。築25年てところか、正直いって大きな地震がくると一発でつぶれることは確実である。1階の住民はほとんど引っ越しを終わっていて、このアパートは建て替えられるようである。ちょうどこの時期地上げがはやり始めた頃であり、地上げにあって引っ越しするようなお客も良く見かけた頃である。2階の突き当たりの部屋まで行き、呼び鈴を鳴らした。
「ブー、ブー」
「おはよーございます。運送屋ですけど」
中からしがれたおばあさんの声で、
「はーい(ニャー)、どうぞー開いてます。(ニャー)」
「なんか変な声が聞こえる?」
とりあえず玄関をあけるとビックリである。猫である。猫がいっぱいである。
「ニャー、ミャー、ニャー」
薄暗い部屋の中に見えるだけでも5匹はいる。別に猫が嫌いではないが、そんなに好きでもない私にとってはギャーである。しかも部屋中けもの臭い。床も壁もきたない。ギャーである。奥からおばーちゃんが猫を抱いて出てきた。6匹目である。
「ご苦労さんです。」
「おばーちゃん、荷物だけでいいんだよね」
社長さんが動揺した様子もなく尋ねた。
「あーおねがいね。片づけといたから。」
奥を覗くと全然と言っていいほど片づいていない。最悪である。早速社長の指示でたんまりと用意してきた段ボール箱を持ってきて組み立てる。この手のお客さんの場合、とにかくなんでもかんでも梱包してしまうしかないのである。壊れかけた椅子など、さすがにこれはいらないものだろうと思って、
「これはいるんですか」
と聞いてもおばあちゃんは
「捨ててくよ」
とは言わない。
昔からの習慣で物を捨てられないのある。しかも、全てのものに思い出が詰まっていて、私たちが見て必要のない物でも、おばあちゃんにとってはとても大事な物なのである。社長と私はドンドン荷造りをし、できた物からトラックに乗せていった。おばあちゃんも箱に詰め込んではいるのだが私たちに比べるとすごく遅いのは仕方がない。いったいいつからこのコップはここに置いてあるのだろうとか、どうして5年前のカレンダーが今もあるのだろうなど、普通に考えている先には進まない。
一通り詰め込みが終わった頃、最後の冷蔵庫には参った。ドアを開けるの事自体にも勇気がいったが、開けてみるとほとんど腐っているとした思えない物も、ところ狭しと詰まっている。冷蔵庫が冷たいうちはまだ臭いなどが押さえられているが、温度が上がったりすると地獄を見ることは容易に推測できる。ある程度中から重い物を出したら、水が漏れてもいいように(事前に水抜きをしておくのがいいお客さん)ビニールを敷いて終了である。荷物を載せ終わったのは昼前であった。荷物が片づいていればもう既に運び込みも終わっている時間である。社長が
「おばーちゃん、荷物運んどくからね。」
「あーお願いね」
早速、トラックに乗って移動である。とにかく冷蔵庫を運んで電気をいれないとまずいので、急がなければ。
市の福祉課からの引っ越しは、市内から市内がほとんどなので、移動時間はほとんどない。引っ越し先は線路をまたいだところのアパートであった。冷蔵庫だけ先に運んで電源を入れてからホッとして(冷蔵庫は斜めにしたらすぐに電源を入れてはいけない場合もあるが気にしてられない)、昼御飯に出かけた。
近くの中華料理屋に入って社長が、
「なんでも好きなもの頼めよ。」
と言ってくれた。引っ越し屋は昼御飯の心配をしなくていい事がこの頃は多かった。多くのお客さんが店屋物を取ってくれたからである。だいたいカツ丼か鰻重である。金持ちの場合はにぎり鮨で、一度だけケンタッキーフライドチキンという時もあった。暑い時期は、途中で冷たい飲み物は必ずと言っていいほど出てくる。あたりまえなのかどうかは良く分からないが、貧乏学生には、それだけで結構うれしい。実を言うと手作りのおにぎりなどの手料理が一番うれしかったりするのだが、引っ越しの時は大抵それどころではない。しかし、福祉課の仕事は引っ越し屋持ちで昼食をとる。さらに引っ越しではよくみられたご祝儀も、生活保護で暮らしている人からはもらえない。昔の人なので、なけなしの金を渡そうとする事があるが、社長は普通お客の暮らしぶりが良くない限り受け取らない。私は、
「チャーハン大盛りと餃子ください。」
と注文した。さすがに力仕事のためお腹が減る。社長はラーメンを注文して椅子に座った。
「今日のはハズレやな。」
「ええ、ちょっとすごかったですね。」
「でも、誰かがやってやらんとだめやからな。」
社長が福祉課の仕事をあまり儲からないにも関わらずやっているのは、ある程度奉仕の精神のようである。
「まー、福祉課の引っ越しはだいだい暇なときに来るからな。」
とも言っていた。食事をした後アパートに戻り、40分ほどで荷物を運び込み終えた。事務所に帰ってきて、社長は、時給にすると通常より多めのバイト料を、
「またお願いするわ。」
とだけ言って手渡してくれた。バイト料を受け取った後、ふと、
「あのおばあちゃんは、次のアパートであのいっぱいの猫を飼えるのであろうか。」
と心配になってきた。寂しさを紛らわすために飼っているのであろうが、今のご時世、大抵のマンション、アパートが動物禁止である。
「あれだけの段ボールの山をちゃんと整理できるのであろうか。」
などいろいろな心配が頭をよぎったが、考えてもしかたがないので忘れることにした。
わたしはバイト中に十数件の福祉課の仕事をした。その中で気付いたのは、一人暮らしのおじいさんは結構こ綺麗にしていることである。それに対して一人暮らしのおばあちゃんは、極端に二通りにわかれるみたいである。綺麗に掃除をしている人と、全く掃除をせずむちゃくちゃな生活をしている人ある。しかも後者の方が多いようなのである。おじいさんと死に別れてから世話をする人がいなくなってしまい、自分のためだけには何ひとつしないようなのである。このことに気付いた時は、ズシっと悲しい気分となったが社長も昔から気付いていたらしく、
「女がつくすという昔の習慣もあるけど、やっぱり男と女の本質的な違いじゃねえか。」
と、言っていた。
どうも自分のために生きるのが下手な人が、男性より女性の方に多いみたいである。私は、福祉課の仕事が嫌いであったが、しかし福祉課の仕事だからと言ってバイトを断ることはしないように決めていた。
バイト中1回だけであるがその筋のお方の引っ越しをしたことがあった。引っ越し元に着いてから気付いたのだが、ご主人を見たとたんはっきりとノーマルではないことは理解できた。マズい!バイト断ればよかった、と瞬間頭には浮かんだのだが今更もうおそい。このときは、マンションからマンションの引っ越しであったが、結構荷物が多いとの話だったので、社長さんと社員さん、それとバイト2名で来ており、ほとんど総動員の状態であった。社長さんがいたので心強かったが、社長さんも着くまで知らなかったようである。どうも引っ越しの手続きは全て奥さんがやったようで、気付く機会はなかったようである。
その筋の方であろうご主人は、年の頃は35、6で背は175、6cmぐらい、そんなに身長は高くないが体重は100kg近くはあるであろう。ナイフの一本や二本じゃくたばらないといった感じである。頭はもちろんパンチパーマで、首と腕にある金色のアクセサリーは、体にピチッと密着した黒の半袖ポロシャツと絶妙のコントラストをかもし出している。宝石がちりばめられたキラキラと光る腕時計は、私の目を焦がしてしまいそうである。
2DKの間取りのマンションには、若い衆と見られる男性が2名ほど手伝いに来ていた。正直言って、手伝いに来なくてもよかったのにと思っていた。どうも若い衆の面倒を見るぐらいの身分になったご主人にとっては、このマンションはちょっと狭くなったのであろう。確かに人が集まるような部屋はこのマンションにはなかった。とにかく挨拶である。
「おはようございます。運送屋です。」
「おー運送屋さん。ごくろーさん。よろしくな!」
機嫌は、良さそうである。高そうな物がいっぱいであろうと辺りを見回してみたが、別にこれといって置物などなく、普通の家庭と同じ雰囲気である。しかし、あんまり引っ越しの用意はできていない。中から奥さんが出てきた。見てビックリである。
「まーすんごい美人」
20代後半で、ちょっと化粧は濃いめだが、目は少し切れ長で、髪はストレートでスラッとした体つき、モデルといっても十分通用するルックスである。やはり、金に目がくらんだのであろうかなどどよぎったが、ちょっと甘ったるい声で、
「あら引っ越し屋さん、早かったですねー。すいませんが、まだ用意が終わってないんですよ。」
約束の時間ぴったりのはずであるが、よくある会話である。うちの社長が、
「おい、おまえら残り物を段ボールにつめていけ。」
と、作業開始の合図である。そうそう、早く片づけて帰りましょうという感じで、仕事を始めた。まずはクローゼットでもと奥の部屋に入って大きめの戸を開けると、ドヒャーである。おびただしい数の衣類が、所狭しと吊るされている。しかも、色彩がほとんど原色の黒、赤、黄色、金色、紫と派手派手である。
よーく見ると、奥さんの服ばかりではなく、ご主人の服が半分ぐらい占めている。テカテカのスーツを見ると、血の気が引くのさえ感じられる。
「やっぱりその道の方はおしゃれですねー」
とでもお世辞を言えばいいのであろうか。私はスーツが皺にならないように最新の注意を払いながら、仕事を進め始めた。奥さんが、
「いいですよ、どんどん重ねっていっても。」
とんでもない。そんなことは私にはできない。奥さんが横に来て無造作にネクタイやベルトなどを段ボールに積め始めたが、私は衣類を黙々と荷造りしていた。通常の3倍ぐらいの時間がかかっているのではないだろうか。一通り積め終わって、トラックへ運び出したら、トラック付近で若い衆が荷物運びの手伝いをしていた。通常ならお客を持たせることは決してない。ここだけでも異常事態であることが判別できる。だた、なかなか軽快な動きでよく働いている。さすがに家具などの大きなものは、専門の私たちに任せていたが、段ボールの運搬などは積極的にこなしていた。いい奴等のようである。荷物の積み込みは思いの他順調であった。家具などはちょっとした傷も付けてはならぬと、日頃の引っ越しにくらべてはるかに慎重に運び出したが、荷物自体が思ったより少なく、運ぶ人数も多かったためであろう。9時から始めた詰め込みは、11時半には終了した。とりあえず、一息である。
「チワー、栄寿司ですー」
奥さんがにこやかな声で、
「お昼来たわよー」
「ちょっと早いが昼にしましょう、運送屋さん。寿司とりましたんで。」
ご主人が、ドスの効いた声でうちの社長に言うと、
「そうですね。そうしますか。」
かくして荷物が片づいて広くなったキッチンに直に座って、握り寿司を囲んでの和やかなお昼の食事会が始まった。目の前にご主人と若い衆がどしっと並んで座ると、さすがにリラックスしづらく、上物のにぎり鮨の味も二の次になってしまう感じである。
「よう、あんちゃんたちは、引っ越し屋は長いのか?大変だろ」
「え、ええ、まー慣れればそうでもないですけど」
一応、私たちがバイトであることは通常伏せられる。
「えらいのー、おまえらも見習えよ。バシッ!」
若い衆の肩を叩いている。
「ウイッス」
ほとんど大学の体育会系運動部の先輩と同じノリである。ぎこちない会話も、徐々になめらかになり、
「よー、引っ越し屋は儲かるのか?」とか「なんかあったら俺に相談しろよ」
等というセリフと共に、ご主人の気分は引っ越し屋のバイト二人までもの良き兄貴のようになりつつあった。確かに、この手の知り合いがいればいざというとき、何かの役に立つ可能性はあるが、あんまりうれしくない。20分ぐらいで楽しい昼食会を終えて、引っ越し先へと移動した。ついてみると、引っ越し先のマンションは2LDKで、前の間取りに比べて一つ部屋が増えただけであったが、リビングが14、5畳分ぐらいある豪勢なマンションであった。荷物の運び入れは部屋が広いため簡単で、1時間ぐらいで終了してお疲れさまとなった。この日のご祝儀は、一人5千円分入っていて、私たちをうならせた。羽振りがいいのか見栄なのかは分からないが、もらえるだけでもラッキーのご祝儀で、良くて3千円止まりの相場なのに5千円である。何も起きなくて、平穏無事だった今回の引っ越しは、終わってみると割のいいバイトであり、別に私たちにとっては普通の面倒見のいいお客さんであった。暴力団が撃退されている今も、あのご主人は羽振り良く暮らせているのであろうか?少しだけ心配である。
私が経験したおじいちゃん、おばあちゃんの引っ越しはほとんどが福祉課の仕事であったが、何度か一人暮らしのおばあちゃんの福祉課以外の引っ越しがあった。
秋口の少し寒めの日で、これまた私が運転手、体育会系(実はバレー部)の学部の後輩が助手というコンビで、二人では結構タフかなと言う仕事であった。
場所は市内のちょっと大きめの通りに面した庭付きの小さな平屋から、長野県の一軒家への少し長距離の引っ越しあった。お客さんはおばあちゃんで、一人暮らしという話である。持っていかない物がかなりあるということなので、2トンショートで何とかなりそうである。朝は7時に事務所に顔を出し、現場に着いたのは8時で早めの作業開始となった。着いて最初の印象は、
「こんな所にまだこんな家があったんだなー」
である。いつ頃建ったのか分からないが、木造の壁や柱がほとんど真っ黒けで良く見ると家自体が斜めに見える。これは引っ越すのもしょうがないだろうという感じであったが建て替える訳ではなく、息子夫婦の元へ行くみたいである。おばあちゃんはというと、背中は完全に曲がってしまっているが、矍鑠としていて良く動く明るくかわいいおばあちゃんであった。引っ越し先になる息子が手伝いに来ていて、おばあちゃんに、
「これ、持っていくの?」
と私が聞くと、
「あーそれは持っていきたいんだけどねー。」
とおばあちゃんが答える。
息子さんが、
「だめだめ。入れるとこないよ。置いてくよ。」
という調子で捨てることとなる。この繰り返しである。その都度確認しての積み込みなのだが、ほとんどの荷物を持っていかないのである。おばあちゃんは持っていきたいみたいなのだが、息子夫婦の家に入らないという大義名分に負けて諦めるのである。
「そーかいな。はいらんか。」
おばあちゃんは、そんなことばっかりいっている。おばあちゃんに
「おばあちゃん。これ全部捨てちゃうの?」
と聞くと、
「そーなんよ。もったいないけど息子が許してくれんのよ。このまま家ごとつぶしちゃってなんも残らんのよ。」
「そりゃもったいないなーおばあちゃん。」
「欲しけりゃなんでももってっていいよ。」
「あっ、いいっすよそんな。」
こんな感じで着々と作業は進むのだが、ちょっとかわいそうであった。終わってみると、一軒家とすると信じられないくらいの少ない荷物で、二トンショートの三分の二にも満たない荷物となった。家にはまだたくさんの家具やら食器、衣類などが残っているがこのまま瓦礫の下に埋もれてしまうらしい。私も何かいい物があれば持っていってやろうと考えていたのだが、息子さんがめぼしい物はチェックしていて正直言って私の欲しい物は何もなかった。
実際、お客さんのいらない物を貰って帰る事など滅多にないのだが、会社でリサイクル業者に引き取ってもらうといってラジカセを貰って帰った事はある。社長に許してもらってダブルベッドを貰って帰ったバイトがいたが、あんなでっかい物、部屋に入ったのだろうか。それはともかく、おばあちゃんは息子さんの車に乗って長野へ出発することとなった。見ていると、おばあちゃんはこの家を離れるのが名残惜しいようで、少し悲しそうな表情をしていた。いっぱいの思い出が詰まっているのであろう。
息子さんの車が先導して中央高速を西へ西へと3時間、インター降りて15分ぐらいで息子さんの家に到着した。着いた家はというと新築の2階建ての大きな家と、これまた大きな車庫が、200坪ぐらいの広い家に建っていた。庭は、まだ何も整備されておらず、植木さえも一本もなく、どこからか持ってきた土が敷き詰められているだけである。
「いやー、いい家ですね、ご主人」
「借金だらけですよ。ハハハ。」
一応の社交辞令である。しかし、実際大きな家で、これだけの家を新築するのは大した物である。おばあちゃんの部屋は、車庫の横にある1階の8畳の和室で、さすがに新築の時に考えて設計したのであろう。高齢者にはもってこいのトイレにも近い部屋である。
「いい息子さんじゃないか」
というのが私の感想である。荷物を入れるのが1階の上、トラックをすぐそこまで付けれたので、30分ぐらいで運び込みは済んでしまった。
「おばあちゃんもこれで寂しくないからよかったね。」
「あー、そうやね。今日はありがとね。助かったわ。」
私らはこれが仕事であるが、普通に仕事をして礼を言われるとうれしいものである。
「これ、少ないけど。息子には言わんとってな。」
そう言ってご祝儀袋を私と後輩に各々くれた。
「どうもありがとうございます。」
そう言った後、
「息子さんいい家建てましたね。」
「あーこれね。半分はあたしの金よ。あの家売ったらいっぱいお金できたから。」
このころ、東京は地上げが始まったころで、なるほど住んでいた家の土地を売れば億の額がつくのは間違いないだろう。おばあちゃんは、急にお金持ちになったのである。でも70過ぎてから億の金を手にしても別に買いたい物もあまりないみたいで、息子さんはおばあちゃんからお金を貰って立派な家を建て、代わりにおばあちゃんの面倒を見ることになったのだろう。
おばあちゃんが、新しい家に住むのをそんなにうれしく思ってなさそうなのが少し気になったが、仕方がないことなのだろう。挨拶を済ませ、長野からの帰り道、ご祝儀袋を開けて見たらビックリである。ピ、ピ、ピン札である。ご祝儀にピン札(一万円)が入っていることなど、3人で働いてまとめて1枚がせいぜいで、各々1枚入っているとはとんでもないことである。
「おばあちゃんありがとう。大切に使わせていただきます。」
後輩と共に心に近い、事務所に戻って社長の
「ご祝儀出たか?」
の問いに
「はあ、ちょっとだけ」
と、バイト代が気分的に下がってしまうのを恐れてすっとぼけた。
バイト代を貰うと、ご祝儀とそんなに変わらなかったで、喜んでいいことなのかどうなのかよく分からないまま、この日のバイトを終えた。
両手の拳を肩の上に持っていき、上に向けて引き上げる形の独特な持ち方で、2ドアの冷蔵庫を背中に担いで階段を登っていると、後ろから社長が声をかけてきた。冷蔵庫を一人で運ぶのにこんな持ち方が楽なことは、普通の生活をしていても分からない。大学3年生の私は今日、一ヶ月ぶりに引っ越しのアルバイトをしていた。
学生時代は、時間はあるがお金がない。欲も強いがそれを満たす先立つものがやっぱりない。自ずと時間にまかせてアルバイトに精を出すわけである。私も人並みにアルバイトを幾つか経験した。家庭教師、交通量調査、ゲームセンターの店員、映画の現像所の暗室作業、バイクオークションの運転手、そして引っ越し屋とその他単発で数種類のアルバイトを経験した。一番長く続いたのは、住んでいた下宿のすぐ横にあった映画現像所の暗室作業であったが、一番印象に残っているのは引っ越し屋である。
引っ越し屋と言われて通常の人が頭に抱くのは、汗だくだくで階段をタンスを担いでエッサエッサと運んでいるような”きつい”という印象であろう。この体力的な”きつさ”を回避するいろいろな手だてはあるのだが、私が心に残っているのはこの”きつさ”ではなく、引っ越し屋が持っている普通の人がしたくてもできない特権のことである。それはつまり、堂々と他人様の家の中に上がり込んで、隅々まで観察できること。東京に住む多くの人々の生き様を目の当たりにできることは、田園広がる田舎から上京してきた世間知らずの若者にとって、新たな世界を垣間みることであり、引っ越し屋として目にした路地裏の生活は、一度に他人の苦労や幸せを自ら経験したような錯覚にも似ており、少し自分が成長した様な気がしたものである。柱に付いた傷や、部屋に残る独特のきな臭さでさえ、そこに住んできた人々の生きてきた証であり、引っ越し屋は、それらを一度に目にできた貴重な経験であった。
引っ越し屋さん
私がアルバイトしていたのは、非常にこじんまりとした引っ越し屋であった。トラックは、2トンロング1台、2トンショート2台(文字どうり2トン車の長いタイプと短いタイプ)、軽トラック1台ですべてである。従業員は、自分で仕事もする40代はじめの社長と、30代半ばの社員1名、後は学生のアルバイトでまかなっている小所帯であった。
運搬力が小さいため、大きな屋敷などの大規模やお金持ちの引っ越しは、”引っ越しセンター”と呼ばれる大手がほとんどやってしまい、この引っ越し屋でまかなっていたのは、独身者や、せいぜいマンション程度の引っ越しがほとんどであった。そのためか、あまり豪勢な屋敷にお目にかかる機会は、少なかった。その他、市の福祉課から、生活保護を受けているような老人の一人住まいの引っ越しなども請け負っていた為、意外と世間の相場より安く請け負っていた事も手伝ってか、苦労人や訳ありのお客が多く、生き様という面では多岐にわたっていたように思える。
事務所は私の住んでいた下宿から歩いていけるところにあり、学部の先輩の紹介でバイトを始めた。大学1年の後半から3年の後半まで約2年間、月に1、2回のペースで働いていたが、春先の引っ越しシーズンには5日連続でバイトしたこともあった。さすがに時給の面では、他にやっていたバイトの1.5倍ぐらいで、お金がないときなどは非常にありがたかった物である。経験を積んだ後、運転手をやっていた頃は、通常のファーストフードのバイトに比べると3倍ぐらいの時給はもらっており、貧乏な生活が2、3日のバイトで豪勢な食事に変わることも結構あったのを覚えている。
昼逃げ
アルバイトを初めて間もない頃は、通常助手としてひたすら荷物を運ぶ役である。古い公団の五階建ての建物に当たったものなら悲惨である。そんな場合に限って、おっきな荷物が山盛りである。その頃の引っ越しで、田舎でぬくぬくと育ってきた私には少しショックキングな人生の一端を、目の当たりにした仕事に出くわした。
朝トラックに乗って引っ越し現場に向かうとき、運転手をしている社員さんがぽつりと
「引っ越し先の住所を大家に聞かれても、助手なんで聞いてませんと言っとけよ」
と言ってきた。私は何でだろうと不思議に思ったがとりあえず
「はい」
と素直に返事をしてトラックの助手席に座っていた。1時間ぐらい経って現場に着いてみると、小さな一軒家というか、離れの様な小さな家が、大家の家らしき2階建ての建物の横に併設している東京ではあまり見られない形態の建物であった。どちらの建物も築20年以上の古い木造建築である。
玄関を開けると、お客さんと思われる少し痩せた目のたれた35歳位の男性と、その奥さんらしき女性ががでてきて、かなり小さめの声で、
「どうもご苦労さんです。お早かったですね。」
と挨拶をしてきた。引っ越しの時、いつの場合も到着して一番最初に気になるのが荷物の片づけ具合である。すっかり段ボール箱に詰め込み終わって、さあどうぞと言わんばかりの客ならしめたものだが、多くの場合、いきなりの一言が
「どーもすいません。まだあんまり片づいてなっくて」
という言い訳から始まるのが常である。これだとしかたなく料金には基本的に含まれていない荷物の詰め込みから始めなくてはならず、
「それなら詰め込みサービスを利用しろよ」
とつぶやきながら、食器を梱包材でくるんだりするのである。今回のお客の場合、玄関からのぞく奥の部屋の片づけ具合は80点てところで、心では
「よし、楽勝か?」
と思いながらサンダルを脱ぎ始めたところ(ちなみに引っ越しをする場合しっかりと安定したサンダルが一番いい。かかとがつぶれた運動靴みたいな履き物が一番具合がいい。家に上がったり降りたりがしょっちゅうあるためである)、お客さんの
「あのー」
と申し訳なさそうな言葉に続いて、
「大家さんに引っ越し先を聞かれても言わないでください」
と言ってきた。運転手である社員さんが
「聞いてます。聞いてます。」
と返事をすると、安心したような面もちでお客さんが
「それから持っていかない荷物があるんですがそれには印をつけておきましたから」
社員さんは辺りを見回して一つ椅子を見つけると、
「このシールですね。わかりました、わかりました。」
この社員さんは、癖で同じ言葉を繰り返す。お客いわく、
「そうです、そうです。それじゃ私たちはココお願いします。この場所で待ってますので」
もってあった手書きの地図のある場所を指し示すと、それを社員さんに手渡して、
「できればなるべく静かに願います。」
とだけ言って、お客夫婦はそそくさと出ていってしまった。ちょっとおかしい。普通なら家族の誰かが引っ越しにはつきそうものだが、家には私たち引っ越し屋だけになってしまった。荷物が片づいているため、特にお客さんが必要な訳ではないので、私は何か変だなと思いながらも家に上がり込んで荷物を運び始めた。社員さんも、なに食わぬ顔で黙々と荷物を運び始めた。
良く見るとこの家は外見以上に結構傷んでいる箇所が多い。どうも子供がいるみたいで、襖はぼろぼろ床は傷だらけ、柱は何か彫ってあって壁には落書きだらけであった。荷物にも子供のおもちゃが幾つか見られ、二人は子供がいるな、と言う感じであった。1時間もしないうち、荷物が半ば運び終わった頃ひと休みしていると、玄関がいきなりガラガラと開いて
「あらー、なによこれ!!」
結構貫禄のあるおばさんがはいってきた。私はなんだ、なんだ、という感じであったが、そのおばさんドコドコとあがってきて
「あんたら運送屋さん?岡本さんはどこにいるの?」
岡本さんは今回のお客さんの名前である。社員さん全くといっていいほど平然として、表情を変えず、
「だいぶ前に出ていきましたけど」
怪訝な顔をしておばさんは、
「いやーなんだろね もー、私大家だけど、なにも引っ越しなんて聞いていないわよ」
念入りに辺りを見回している。痛んでいる柱などをピクピクッと反応しながら、一通り眺めた後、
「岡本さんはどこ?あんたら知ってんでしょ。これどこに運ぶの?」
貫禄のある体からどっと質問が押し寄せてきた。社員さんは冷静に
「会社からは聞いてませんよー。一端うちの倉庫に預かるとか言ってましたよ。私らはただの運送屋ですから。」
社員さんは落ちついている。大家おばさんは鬼のような形相で
「どうするのよー。ここ二カ月の家賃ももらっていないのよ。それにこんなに家を傷めて敷金だけじゃ足りないわよ。行き先を教えなさいよ。」
「聞いてないから教えられませんよ。岡本さんに聞いてください。」
社員さんは、岡本さんが二度とココに現れないのを知ってて言っている。
「おい、そろそろ始めるか。」
私たちは、再び黙々と荷物を運び始めた。引っ越し屋は荷物が整理されていると、素人が思っているより異常に速く荷物を運び出す。荷物の持ち方や順序を知っているためであろう。大家のおばさんの苛立ちを隠せぬ顔の横を、せっせと荷物を運び出す。大家さんは、何かぶつぶつ愚痴をもらしながら家の中を動き回っている。あともう少しで運び出し終了という段になって、
「この荷物なによ!こんな汚いものおいたままにするの?持っていってくださいよ!」
言わずとしれたシール付きの荷物である。さすがに運ぶ必要のないものだけあって使いものにならない家具やこわれたおもちゃなど、どう見てもいらない。ココでも社員さんは飄々として
「置いておいてください、ときいてますのでもってけませんよ。岡本さんにいってください。」
そのまま大家さんの絶え間ない愚痴を後目に荷物を運びだし、そそくさと
「終わりましたので失礼します。」
みょうに丁寧に礼をして家を出ていこうとした。大家おばさんは最後にもう一度
「行き先知らないのほんとに!こんなに物置いてかないでよ!」
と半ば泣き声で言っていたが、社員さんは私に向かって
「さあ行くぞ」
と言って、さっさとトラックに乗ってしまった。私もおばさんがかわいそうだなと思いつつも助手席に乗り込むと、トラックは発進してしまった。社員さんは少し小さな声で
「私たちのお客さんは、今日は岡本さんだから」
とだけ言って黙々と運転をし始めた。1kmぐらい走った左手の駐車場に、今日のお客さんの岡本さんが車に乗って待っていた。中には子供が二人乗っていた。その車は傷だらけで、片方のライトが完全につぶれている私が子供の頃に見たモデルの白いギャランシグマであった。
「どうもすいません。大家さんに気づかれましたか?」
社員さんは、
「ええ。行き先を何度も聞かれましたが言ってませんので」
岡本さんはほっとした表情で
「ありがとうございます。」
この後、公団の2階に引っ越しを済ませた。この日、引っ越しアルバイトの最大の楽しみであるご祝儀が(ご祝儀はバイト代に関係なくとっぱらいで、働いた人での頭割りである。現在はあまりこの習慣はない)社員さんと二人で千円だったのにはがっくりきたが、苦労で痩せているご主人の申し訳なさそうな顔を見ると、まあしかたないかと500円ずつ社員さんと分けて顔を見合わした事を今でも覚えている。東京ではこの手の引っ越しが結構多い。
引っ越し屋はオオカミ?
学生のバイトにとっては、お客さんが若い女性だとパワー全開である。出会いやときめきはあり得ないことは分かっているのだが、でも男のお客さんの引っ越しに比べると、元気が出てくる。一人暮らしの女性の部屋に入れるわけで、これだけで男子学生にとっては心ウキウキなのである。
あさ事務所に行って
「今日は一人暮らしの女性のだから、2トンショート1台で行って来い」
とか言われると、お客さんが若く美人であることを心から願っている。
バイトも1年半ぐらいやっていると、人手が足りないときなど私が運転手をやって後輩体育会系バイト等を一人引き連れ、社員さんなしでこなすことなどが出てきた。社員さんがいなくていいのだろうかと我ながら思ったものだが、そこは小さな引っ越し屋の機動力なのだろう。3月の引っ越しシーズンのある日、引っ越し件数が全部で7件ぐらい重なっていて、この日私は運転手をすることとなった(ちなみにシーズン中は1日2件程度引っ越しをこなす。私は朝7時から真夜中の12時までで最大4件こなしたことがある。どんなに夜遅くてもこの日に引っ越しがしたいと言う人が結構いるのである)。ラッキーにもこの日は、女子短大に入学した女子大生の引っ越しであった。助手のバイトと一緒に現場へ向かうトラックの中での会話は、弾んだことこの上なしである。神奈川から吉祥寺のはずれへの引っ越しである。無理すれば通学はできないことはないが
「一人暮らしがしたーい」
と、だだでもこねたのであろう。想像力抜群の私と助手は脳みそをぶくぶくと膨らませた。東京の一等地での一人暮らしに期待溢れているだろうと、膨らむばかりの想いを胸に、引っ越し元へとトラックを走らせた。
着いてみると、小さめの2階建ての庭付き一軒家でごくごく平均的な家庭みたいである。
「おはよーございます。運送屋です。」
中からお母さんらしきおばさんが、ニコニコと出てきて
「あー運送屋さんね。はやかったですね。今日はどうもよろしくお願いします」
と丁寧に挨拶をしてきた。当の本人の花の女子大生はまだ顔を現さない。お母さんに2階の部屋に案内された。ここに女子大生はいるに違いない。
「失礼しまーす。ガラ、ガラ、ガラ」
部屋には家具のほかに完璧に詰め込まれた段ボールが、20個ほど山と積んである。しかし当の女子大生は、この部屋にはいない。
「なぜもったいぶるのか?」
「見せるだけで金が取れるほど美人なのか?」
「もしくは見れないほどの顔なのか?」
かなりイライラしてきた。
部屋は8畳の畳敷き。しかし女の子の部屋とはっきり分かるほどの面影はすでにほとんどない。壁などに掛けられているはずの小物は姿を消し、机やタンスのデザインが女の子が選ぶ様なかわいい家具と言う程度である。一通り部屋の観察を終えたら、本来の仕事に戻らなければならない。しっくりと来ない気持ちのまま、まずはタンスを運び始めた。荷造りは完璧である。小さなタンスの中身は全て取り出してあり、引き出しは運び出すとき飛び出さないように、かつ跡がつかないように布のガムテープで止めてある。これだとちょっとくらい重くても平気である。段ボールもガムテープですでに蓋をしてあり中に何が入っているのかを書いてあるため、運びやすい事このうえない。前にも書いたが、荷物がこのような状態だと、ホンの30分もあれば荷物を運び終える。気にするのは運ぶ順序だけである。
引っ越し屋でかなり技術がいる一つとして、トラックへの荷物の詰め込み方がある。荷物が多い場合は持ってきたトラックに全て載せなければならないし、荷物が少なければ荷物が崩れてこわれたりしないように積んでいかなければならない。最初に運び入れる大きな荷物を運び終えると、運転手は普通この詰め込み作業専門になる。トラックで段ボールなどの小さな荷物が来るのを待っていて、運んできた荷物を上手に積め込んでさえいればいいのである。この詰め込み作業は簡単そうに見えるが、結構慣れるまで難しい。荷物がおおいときは高く積まなければならず、重さ、形、大きさを考えてまるで積み木のように組み合わせなければならない。一筋縄では行かないのが普通である。
私はこの時期詰め込み作業を社員さんと同じレベルでこなせるようになっており、こうなると運転手としてまかせられるようになるため、時給もグンと跳ね上がるのである。しかし今回の荷物は大きなものとして机とタンス、後はほとんど段ボールの中に詰め込まれているだけで、考える事なんてほとんどない。平積みのまま、タンスを倒れない様にゴムのロープで固定程度である。なんて楽な引っ越しであろうか。荷物を詰め込み、固定していつでも出発できる状態になるまでホンの4、50分、少し汗をかくか、かかないかの労働である。
お母さんがこの様子を見て、
「あーさすがプロ。あっと言う間ですね。お茶を用意する暇もない。」
私は半分素人のアルバイトである。
「お気を使わないでください。もうすぐ終わりますので。」
「まーそう言わずにお茶でもどうぞ。じゃあ、そろそろ私も行く用意をしないとね。」
「ん?」
うすうす恐れていたが、このおばさんが一緒に行くらしい。
「お茶など出さずに娘出せ!」
と喉まであがってきた。
2トントラックは、座席に横1列に3人乗れるため、車のないお客さんなどは良くトラックに乗っていゆくのである。このおばさんは、そのことをを良く知っているかのごとく、何も聞かずに家の奥に入っていき、小さなバックを持って出てきた。助手のバイトと共に横に女子大生が乗って、話に花を咲かせながら引っ越しができると期待していた引っ越し屋二人は、横に乗ったただのおばさんを見て、今にも溜息をつきそうな顔で出発の時を迎えた。
「それじゃ出発します。」
物悲しいディーゼルエンジンの音と共に車は出発した。
運転途中は世間話に終始した。実際はものすごく不機嫌なのだが、そこは客商売である。そんなそぶりも見せず、天気の話から始まるまるでおばさん同志の様な取り留めのない話を、2時間ほどして引っ越し先のマンション近くまでやってきた。おばさんが、
「あれです。あの高いマンション!」
周りの建物より少し高く、6階建ての少し光沢のある青いタイルで包まれた新しいマンションであった。マンション前への通じる小道へ曲がる前に気付いたのだが、入口に面する道が狭くかつ一方通行である。どうもその反対側に来てしまったらしく、トラックを入れることができない。その狭い通りに入る前に一度車を降りて入口に至るまでの道の様子を確認した。
「んー困った。」
どう見ても、マンション前の一方通行の道に入る曲がり角を、トラックが通れないのである。角に電柱が立っていてさらに狭くなっている上に、角の家の植木がズズッとはみ出してきてトラックの幌に当たるのである。
「困った。」
引っ越しでは実を言うと荷物の重さはピアノみたいに異常に重くない限り、あまり問題にならない。荷物の体積と運ぶ距離の方が問題なのである。荷物を持ったまま長い距離を運ぶことは、たとえ荷物が軽くともすごく疲れるのである。要は一番重いのは人間の体なのである。この事情から、運転手はいかに運ぶ距離を短くするかにかなりの神経を注ぐ。
今回などは一番やっかいなケースで、最悪の場合、少し離れた駐車場などにトラックを止めて、荷物を持って歩くことになるわけである。少し考えた後、一方通行の通りの出口から、マンションの入口までバックでトラックを入れることにした。
これまた大変である。トラックではバックが難しい。バックミラーは荷台で役に立たず(何故付いているのだろう)、サイドミラーのみでバックするのだが、ほとんど何も見えず、助手の誘導が肝心である。幅が狭い通りにバックで曲がって入って行くなど神業に近い。最初の一方通行の出口からのバックが苦労した。何回か角の塀に触ったが、ゆっくりゆっくり何とかマンション入口までバックでたどり着いた。何故かその間、おばさんは車の中に心配そうに乗っていた。マンションに着いたら、普通トラックなど気にせずさっさと部屋に入っていくのものなのだが、私たちが右往左往していたのがおもしろかったようである。
30分ほど車をつけるのにかかってかなり疲れたが、ゆっくりしている暇などない。一方通行だから車が来たら今までの苦労が水の泡である。まあ通りの入口からトラックが見えるし道がせまいため、よっぽどの事がない限りトラックを動かす必要はないだろうが、あんまり長いこと止めてあるとさすがに迷惑である。
「よし、はじめるぞ。」
運転席からおりて、まず部屋とそこまでの経路の確認である。今回は2階のため、エレベータがいいか、階段がいいか。狭いところはないか、傷つけてしまいそうなところには毛布などを当てなければならない等、確認することは結構ある。しかしその第一段階からつまづいてしまった。入口の自動ドアが、セキュリティシステムになっていて暗証番号を入れないと開かないのである。この種の自動ドアは建物の中からは人がドアに近づくと自動に開くが、外からは簡単には入れない。荷物を運び入れるときは大変なのである。通常は管理人がいて常時あけておけるようなスイッチを入れてくれるのだが、どうも今は不在の様である。おばさんは暗証番号をおして自動ドアを開け、階段をあがって部屋に入っていた。私たちも自動ドアのことが気になっていたが、後を追って通路の確認をしながら付いていった。おばさんが急に大きな声で、
「まー、なんであんたいるの?」
誰か怪しい人間がいたのかと急いで部屋に入っていくと、そこには結構ぽちゃっとした長髪の目のパッチリした若い女性が立っていたのである。相次ぐ問題の発生のため、女子大生のことなどすっかり忘れてまじめな引っ越し屋に完全に戻っていた私と助手は、目の色がキラッと光った。
「これがあこがれの夢見る女子大生か」
と感激である。感激からか私は少しどもって、
「お、おはようございまーす。」
その女子大生はニコッと笑って、
「よろしくお願いします。」
声もかわいらしく、予想以上の美人に私は満足していた。しかしちょっとおばさんの様子がおかしい。
「おじさんのとこに行ってなさいって言ったでしょ。どうしたの?」
結構、機嫌が悪い。
「ちょっと掃除に手間取っちゃって。思ったより来るのが速かったから。」
等と二人で小声でブツブツ言い争っているのである。ここで私たちは気付いた。そうである。われら引っ越し屋にこの美人女子大生を会わせたくなかったのである。そんなに私たちは信用がないのか?確かに美人は好きだし、女子大生も大好きである。しかし、どんな美人であろうが引っ越しが終わったらただの他人であり、東京ならもう会うこともないであろう。家を知っていようが公私混同などするわけがない。たとえバイトであろうがそれくらいの常識ははもっているし、破ればほとんど犯罪である。怒り心頭である。たぶん助手も同じ気持ちであろうが、見るとニコニコしている。悲しいかな客商売ではこんな時でもにこやかに仕事をしなければならず、助手の態度になんて大人なんだと気を取り直し、
「荷物運び入れますよ。」
と憎きおばさんに声をかけた。
「あ、お願いします。」
こんな仕事はさっさと終わらしてしまえと考え、気持ちを切り替えた。こうなると問題は自動ドアである。いろいろと自動ドアを観察してスイッチなどを探したが、どうも管理人室内にあるようで見あたらない。しかたなくお客さんに荷物を運ぶたびに建物の内側からドアの前に立ってもらい、ドアを開ける事にした。部屋の中に荷物の置場所を指示する人が一人いるため、自動ドア係は美人女子大生に任命された。荷物の積み込みと違い、運び入れには運転手もフル稼働である。荷物を持って自動ドアの前に立つ度に、美人女子大生がドアの前に迎えに立ち笑顔で迎えてくれるわけである。私の機嫌はこの瞬間は良くなり、部屋に運び入れる時点では、おばさんの指示に従わなければならず、私の機嫌は最悪になる。このサイクルを何度となく繰り返す事となった。最後の方は、美人女子大生の笑顔の方が勝り、かなり機嫌も回復して運び入れを終了することとなった。
ドアの前を通る度に聞ける美人女子大生の
「たいへんですね」
とか、
「がんばってください」
という激励の言葉が心地よかったのである。この子は箱入り娘で、おばさんは自分の手元を離れるのが心配で心配で仕方がなくこんなセキュリティの厳しいマンションにしたのだな、と思いながら、
「終わりました。」
と過保護心配性おばさんに伝えた。お金の精算を済ませ、最後に二人並んで見送りにでてきた。
「ありがとうございました。失礼します。」
「お疲れさまでした。」
二人並んでみると良く似た親子である。肌にハリがあり、表情が元気いっぱいで明るさにあふれた美人女子大生に比べて、おばさんの顔には気苦労や他人への懐疑によって皺が刻まれ、体型も変わっているのをみると人生の重みを感じずにはいられなかった。使用前、使用後といった感じである。この純情な美人女子大生も、こんな都心に住んだらあっと言う間に男ができてケバくなっちゃうんだろうな、とすこし悲しい気持ちのままトラックに乗ってエンジンをかけた。
帰りのトラックの中での助手はニヤニヤして、
「いやー美人でしたね。あの女子大生。お近づきになりたいな。会いに行っちゃおーかな。」
と言っていた。どうも、私たちが信用されていなく、娘を会わせないようにしていたことは全く気付いていなかったようである。今の助手の言葉だけを聞くと、あのおばさんの取ろうとした行動は賢明のようである。人生での経験のなせる技であろう。私は事務所に連絡を入れて、次の引っ越し先に向かった。
猫とおばあちゃん
私が働いていた引っ越し屋は、先にも書いたように市の福祉課からの引っ越しを請け負っていた。一人暮らしの生活保護を受けている高齢者の、住んでいる建物の建て替えや諸々の事情による引っ越しなどは、やむを得ず市が引っ越し屋に依頼することもあるようで、月に2、3件の依頼があった。私はこの福祉課の仕事が好きではなかった。別に高齢者が嫌なのではなく、身よりのない高齢者の生活状況が嫌だったのである。
初夏の平日、ほとんど授業に出席していなかった私は、前日に来たバイトの依頼を引き受け、朝7時頃事務所に顔を出した。今日は社員さんが休みの様子で、
「今日は福祉の一件だけだから。」
と、社長さんが朝ご飯を食べながらもぐもぐと言ってきた。引っ越し屋の朝は早い。だいたい7時ぐらいに朝御飯を食べ、7時半位に出発し、引っ越し先に付くのが8時半とか9時という調子である。朝早いため、バイトにも朝御飯が用意される。一人暮らしの学生にとっては、温かい朝御飯が用意されているのはとてもありがたく、私にとってはこのバイトの魅力の一つでもあった。お腹をいっぱいにさせ、車の掃除をして出発となる。今日は2トンショート一台である。
2トンショートは、都心の引っ越しには一番便利な車である。車幅や全長はほとんど乗用車と変わらず車高が高い程度なので、高ささえ気をつければどんな道でもまず入っていける。荷物も通常の東京の狭めのマンションなら1台で乗ってしまう。だいたいの引っ越しをこなせる車なのである。
今日の引っ越し元は、市の南のはずれの古いアパートの2階であった。築25年てところか、正直いって大きな地震がくると一発でつぶれることは確実である。1階の住民はほとんど引っ越しを終わっていて、このアパートは建て替えられるようである。ちょうどこの時期地上げがはやり始めた頃であり、地上げにあって引っ越しするようなお客も良く見かけた頃である。2階の突き当たりの部屋まで行き、呼び鈴を鳴らした。
「ブー、ブー」
「おはよーございます。運送屋ですけど」
中からしがれたおばあさんの声で、
「はーい(ニャー)、どうぞー開いてます。(ニャー)」
「なんか変な声が聞こえる?」
とりあえず玄関をあけるとビックリである。猫である。猫がいっぱいである。
「ニャー、ミャー、ニャー」
薄暗い部屋の中に見えるだけでも5匹はいる。別に猫が嫌いではないが、そんなに好きでもない私にとってはギャーである。しかも部屋中けもの臭い。床も壁もきたない。ギャーである。奥からおばーちゃんが猫を抱いて出てきた。6匹目である。
「ご苦労さんです。」
「おばーちゃん、荷物だけでいいんだよね」
社長さんが動揺した様子もなく尋ねた。
「あーおねがいね。片づけといたから。」
奥を覗くと全然と言っていいほど片づいていない。最悪である。早速社長の指示でたんまりと用意してきた段ボール箱を持ってきて組み立てる。この手のお客さんの場合、とにかくなんでもかんでも梱包してしまうしかないのである。壊れかけた椅子など、さすがにこれはいらないものだろうと思って、
「これはいるんですか」
と聞いてもおばあちゃんは
「捨ててくよ」
とは言わない。
昔からの習慣で物を捨てられないのある。しかも、全てのものに思い出が詰まっていて、私たちが見て必要のない物でも、おばあちゃんにとってはとても大事な物なのである。社長と私はドンドン荷造りをし、できた物からトラックに乗せていった。おばあちゃんも箱に詰め込んではいるのだが私たちに比べるとすごく遅いのは仕方がない。いったいいつからこのコップはここに置いてあるのだろうとか、どうして5年前のカレンダーが今もあるのだろうなど、普通に考えている先には進まない。
一通り詰め込みが終わった頃、最後の冷蔵庫には参った。ドアを開けるの事自体にも勇気がいったが、開けてみるとほとんど腐っているとした思えない物も、ところ狭しと詰まっている。冷蔵庫が冷たいうちはまだ臭いなどが押さえられているが、温度が上がったりすると地獄を見ることは容易に推測できる。ある程度中から重い物を出したら、水が漏れてもいいように(事前に水抜きをしておくのがいいお客さん)ビニールを敷いて終了である。荷物を載せ終わったのは昼前であった。荷物が片づいていればもう既に運び込みも終わっている時間である。社長が
「おばーちゃん、荷物運んどくからね。」
「あーお願いね」
早速、トラックに乗って移動である。とにかく冷蔵庫を運んで電気をいれないとまずいので、急がなければ。
市の福祉課からの引っ越しは、市内から市内がほとんどなので、移動時間はほとんどない。引っ越し先は線路をまたいだところのアパートであった。冷蔵庫だけ先に運んで電源を入れてからホッとして(冷蔵庫は斜めにしたらすぐに電源を入れてはいけない場合もあるが気にしてられない)、昼御飯に出かけた。
近くの中華料理屋に入って社長が、
「なんでも好きなもの頼めよ。」
と言ってくれた。引っ越し屋は昼御飯の心配をしなくていい事がこの頃は多かった。多くのお客さんが店屋物を取ってくれたからである。だいたいカツ丼か鰻重である。金持ちの場合はにぎり鮨で、一度だけケンタッキーフライドチキンという時もあった。暑い時期は、途中で冷たい飲み物は必ずと言っていいほど出てくる。あたりまえなのかどうかは良く分からないが、貧乏学生には、それだけで結構うれしい。実を言うと手作りのおにぎりなどの手料理が一番うれしかったりするのだが、引っ越しの時は大抵それどころではない。しかし、福祉課の仕事は引っ越し屋持ちで昼食をとる。さらに引っ越しではよくみられたご祝儀も、生活保護で暮らしている人からはもらえない。昔の人なので、なけなしの金を渡そうとする事があるが、社長は普通お客の暮らしぶりが良くない限り受け取らない。私は、
「チャーハン大盛りと餃子ください。」
と注文した。さすがに力仕事のためお腹が減る。社長はラーメンを注文して椅子に座った。
「今日のはハズレやな。」
「ええ、ちょっとすごかったですね。」
「でも、誰かがやってやらんとだめやからな。」
社長が福祉課の仕事をあまり儲からないにも関わらずやっているのは、ある程度奉仕の精神のようである。
「まー、福祉課の引っ越しはだいだい暇なときに来るからな。」
とも言っていた。食事をした後アパートに戻り、40分ほどで荷物を運び込み終えた。事務所に帰ってきて、社長は、時給にすると通常より多めのバイト料を、
「またお願いするわ。」
とだけ言って手渡してくれた。バイト料を受け取った後、ふと、
「あのおばあちゃんは、次のアパートであのいっぱいの猫を飼えるのであろうか。」
と心配になってきた。寂しさを紛らわすために飼っているのであろうが、今のご時世、大抵のマンション、アパートが動物禁止である。
「あれだけの段ボールの山をちゃんと整理できるのであろうか。」
などいろいろな心配が頭をよぎったが、考えてもしかたがないので忘れることにした。
わたしはバイト中に十数件の福祉課の仕事をした。その中で気付いたのは、一人暮らしのおじいさんは結構こ綺麗にしていることである。それに対して一人暮らしのおばあちゃんは、極端に二通りにわかれるみたいである。綺麗に掃除をしている人と、全く掃除をせずむちゃくちゃな生活をしている人ある。しかも後者の方が多いようなのである。おじいさんと死に別れてから世話をする人がいなくなってしまい、自分のためだけには何ひとつしないようなのである。このことに気付いた時は、ズシっと悲しい気分となったが社長も昔から気付いていたらしく、
「女がつくすという昔の習慣もあるけど、やっぱり男と女の本質的な違いじゃねえか。」
と、言っていた。
どうも自分のために生きるのが下手な人が、男性より女性の方に多いみたいである。私は、福祉課の仕事が嫌いであったが、しかし福祉課の仕事だからと言ってバイトを断ることはしないように決めていた。
その筋のお引っ越し
バイト中1回だけであるがその筋のお方の引っ越しをしたことがあった。引っ越し元に着いてから気付いたのだが、ご主人を見たとたんはっきりとノーマルではないことは理解できた。マズい!バイト断ればよかった、と瞬間頭には浮かんだのだが今更もうおそい。このときは、マンションからマンションの引っ越しであったが、結構荷物が多いとの話だったので、社長さんと社員さん、それとバイト2名で来ており、ほとんど総動員の状態であった。社長さんがいたので心強かったが、社長さんも着くまで知らなかったようである。どうも引っ越しの手続きは全て奥さんがやったようで、気付く機会はなかったようである。
その筋の方であろうご主人は、年の頃は35、6で背は175、6cmぐらい、そんなに身長は高くないが体重は100kg近くはあるであろう。ナイフの一本や二本じゃくたばらないといった感じである。頭はもちろんパンチパーマで、首と腕にある金色のアクセサリーは、体にピチッと密着した黒の半袖ポロシャツと絶妙のコントラストをかもし出している。宝石がちりばめられたキラキラと光る腕時計は、私の目を焦がしてしまいそうである。
2DKの間取りのマンションには、若い衆と見られる男性が2名ほど手伝いに来ていた。正直言って、手伝いに来なくてもよかったのにと思っていた。どうも若い衆の面倒を見るぐらいの身分になったご主人にとっては、このマンションはちょっと狭くなったのであろう。確かに人が集まるような部屋はこのマンションにはなかった。とにかく挨拶である。
「おはようございます。運送屋です。」
「おー運送屋さん。ごくろーさん。よろしくな!」
機嫌は、良さそうである。高そうな物がいっぱいであろうと辺りを見回してみたが、別にこれといって置物などなく、普通の家庭と同じ雰囲気である。しかし、あんまり引っ越しの用意はできていない。中から奥さんが出てきた。見てビックリである。
「まーすんごい美人」
20代後半で、ちょっと化粧は濃いめだが、目は少し切れ長で、髪はストレートでスラッとした体つき、モデルといっても十分通用するルックスである。やはり、金に目がくらんだのであろうかなどどよぎったが、ちょっと甘ったるい声で、
「あら引っ越し屋さん、早かったですねー。すいませんが、まだ用意が終わってないんですよ。」
約束の時間ぴったりのはずであるが、よくある会話である。うちの社長が、
「おい、おまえら残り物を段ボールにつめていけ。」
と、作業開始の合図である。そうそう、早く片づけて帰りましょうという感じで、仕事を始めた。まずはクローゼットでもと奥の部屋に入って大きめの戸を開けると、ドヒャーである。おびただしい数の衣類が、所狭しと吊るされている。しかも、色彩がほとんど原色の黒、赤、黄色、金色、紫と派手派手である。
よーく見ると、奥さんの服ばかりではなく、ご主人の服が半分ぐらい占めている。テカテカのスーツを見ると、血の気が引くのさえ感じられる。
「やっぱりその道の方はおしゃれですねー」
とでもお世辞を言えばいいのであろうか。私はスーツが皺にならないように最新の注意を払いながら、仕事を進め始めた。奥さんが、
「いいですよ、どんどん重ねっていっても。」
とんでもない。そんなことは私にはできない。奥さんが横に来て無造作にネクタイやベルトなどを段ボールに積め始めたが、私は衣類を黙々と荷造りしていた。通常の3倍ぐらいの時間がかかっているのではないだろうか。一通り積め終わって、トラックへ運び出したら、トラック付近で若い衆が荷物運びの手伝いをしていた。通常ならお客を持たせることは決してない。ここだけでも異常事態であることが判別できる。だた、なかなか軽快な動きでよく働いている。さすがに家具などの大きなものは、専門の私たちに任せていたが、段ボールの運搬などは積極的にこなしていた。いい奴等のようである。荷物の積み込みは思いの他順調であった。家具などはちょっとした傷も付けてはならぬと、日頃の引っ越しにくらべてはるかに慎重に運び出したが、荷物自体が思ったより少なく、運ぶ人数も多かったためであろう。9時から始めた詰め込みは、11時半には終了した。とりあえず、一息である。
「チワー、栄寿司ですー」
奥さんがにこやかな声で、
「お昼来たわよー」
「ちょっと早いが昼にしましょう、運送屋さん。寿司とりましたんで。」
ご主人が、ドスの効いた声でうちの社長に言うと、
「そうですね。そうしますか。」
かくして荷物が片づいて広くなったキッチンに直に座って、握り寿司を囲んでの和やかなお昼の食事会が始まった。目の前にご主人と若い衆がどしっと並んで座ると、さすがにリラックスしづらく、上物のにぎり鮨の味も二の次になってしまう感じである。
「よう、あんちゃんたちは、引っ越し屋は長いのか?大変だろ」
「え、ええ、まー慣れればそうでもないですけど」
一応、私たちがバイトであることは通常伏せられる。
「えらいのー、おまえらも見習えよ。バシッ!」
若い衆の肩を叩いている。
「ウイッス」
ほとんど大学の体育会系運動部の先輩と同じノリである。ぎこちない会話も、徐々になめらかになり、
「よー、引っ越し屋は儲かるのか?」とか「なんかあったら俺に相談しろよ」
等というセリフと共に、ご主人の気分は引っ越し屋のバイト二人までもの良き兄貴のようになりつつあった。確かに、この手の知り合いがいればいざというとき、何かの役に立つ可能性はあるが、あんまりうれしくない。20分ぐらいで楽しい昼食会を終えて、引っ越し先へと移動した。ついてみると、引っ越し先のマンションは2LDKで、前の間取りに比べて一つ部屋が増えただけであったが、リビングが14、5畳分ぐらいある豪勢なマンションであった。荷物の運び入れは部屋が広いため簡単で、1時間ぐらいで終了してお疲れさまとなった。この日のご祝儀は、一人5千円分入っていて、私たちをうならせた。羽振りがいいのか見栄なのかは分からないが、もらえるだけでもラッキーのご祝儀で、良くて3千円止まりの相場なのに5千円である。何も起きなくて、平穏無事だった今回の引っ越しは、終わってみると割のいいバイトであり、別に私たちにとっては普通の面倒見のいいお客さんであった。暴力団が撃退されている今も、あのご主人は羽振り良く暮らせているのであろうか?少しだけ心配である。
成金おばあちゃん
私が経験したおじいちゃん、おばあちゃんの引っ越しはほとんどが福祉課の仕事であったが、何度か一人暮らしのおばあちゃんの福祉課以外の引っ越しがあった。
秋口の少し寒めの日で、これまた私が運転手、体育会系(実はバレー部)の学部の後輩が助手というコンビで、二人では結構タフかなと言う仕事であった。
場所は市内のちょっと大きめの通りに面した庭付きの小さな平屋から、長野県の一軒家への少し長距離の引っ越しあった。お客さんはおばあちゃんで、一人暮らしという話である。持っていかない物がかなりあるということなので、2トンショートで何とかなりそうである。朝は7時に事務所に顔を出し、現場に着いたのは8時で早めの作業開始となった。着いて最初の印象は、
「こんな所にまだこんな家があったんだなー」
である。いつ頃建ったのか分からないが、木造の壁や柱がほとんど真っ黒けで良く見ると家自体が斜めに見える。これは引っ越すのもしょうがないだろうという感じであったが建て替える訳ではなく、息子夫婦の元へ行くみたいである。おばあちゃんはというと、背中は完全に曲がってしまっているが、矍鑠としていて良く動く明るくかわいいおばあちゃんであった。引っ越し先になる息子が手伝いに来ていて、おばあちゃんに、
「これ、持っていくの?」
と私が聞くと、
「あーそれは持っていきたいんだけどねー。」
とおばあちゃんが答える。
息子さんが、
「だめだめ。入れるとこないよ。置いてくよ。」
という調子で捨てることとなる。この繰り返しである。その都度確認しての積み込みなのだが、ほとんどの荷物を持っていかないのである。おばあちゃんは持っていきたいみたいなのだが、息子夫婦の家に入らないという大義名分に負けて諦めるのである。
「そーかいな。はいらんか。」
おばあちゃんは、そんなことばっかりいっている。おばあちゃんに
「おばあちゃん。これ全部捨てちゃうの?」
と聞くと、
「そーなんよ。もったいないけど息子が許してくれんのよ。このまま家ごとつぶしちゃってなんも残らんのよ。」
「そりゃもったいないなーおばあちゃん。」
「欲しけりゃなんでももってっていいよ。」
「あっ、いいっすよそんな。」
こんな感じで着々と作業は進むのだが、ちょっとかわいそうであった。終わってみると、一軒家とすると信じられないくらいの少ない荷物で、二トンショートの三分の二にも満たない荷物となった。家にはまだたくさんの家具やら食器、衣類などが残っているがこのまま瓦礫の下に埋もれてしまうらしい。私も何かいい物があれば持っていってやろうと考えていたのだが、息子さんがめぼしい物はチェックしていて正直言って私の欲しい物は何もなかった。
実際、お客さんのいらない物を貰って帰る事など滅多にないのだが、会社でリサイクル業者に引き取ってもらうといってラジカセを貰って帰った事はある。社長に許してもらってダブルベッドを貰って帰ったバイトがいたが、あんなでっかい物、部屋に入ったのだろうか。それはともかく、おばあちゃんは息子さんの車に乗って長野へ出発することとなった。見ていると、おばあちゃんはこの家を離れるのが名残惜しいようで、少し悲しそうな表情をしていた。いっぱいの思い出が詰まっているのであろう。
息子さんの車が先導して中央高速を西へ西へと3時間、インター降りて15分ぐらいで息子さんの家に到着した。着いた家はというと新築の2階建ての大きな家と、これまた大きな車庫が、200坪ぐらいの広い家に建っていた。庭は、まだ何も整備されておらず、植木さえも一本もなく、どこからか持ってきた土が敷き詰められているだけである。
「いやー、いい家ですね、ご主人」
「借金だらけですよ。ハハハ。」
一応の社交辞令である。しかし、実際大きな家で、これだけの家を新築するのは大した物である。おばあちゃんの部屋は、車庫の横にある1階の8畳の和室で、さすがに新築の時に考えて設計したのであろう。高齢者にはもってこいのトイレにも近い部屋である。
「いい息子さんじゃないか」
というのが私の感想である。荷物を入れるのが1階の上、トラックをすぐそこまで付けれたので、30分ぐらいで運び込みは済んでしまった。
「おばあちゃんもこれで寂しくないからよかったね。」
「あー、そうやね。今日はありがとね。助かったわ。」
私らはこれが仕事であるが、普通に仕事をして礼を言われるとうれしいものである。
「これ、少ないけど。息子には言わんとってな。」
そう言ってご祝儀袋を私と後輩に各々くれた。
「どうもありがとうございます。」
そう言った後、
「息子さんいい家建てましたね。」
「あーこれね。半分はあたしの金よ。あの家売ったらいっぱいお金できたから。」
このころ、東京は地上げが始まったころで、なるほど住んでいた家の土地を売れば億の額がつくのは間違いないだろう。おばあちゃんは、急にお金持ちになったのである。でも70過ぎてから億の金を手にしても別に買いたい物もあまりないみたいで、息子さんはおばあちゃんからお金を貰って立派な家を建て、代わりにおばあちゃんの面倒を見ることになったのだろう。
おばあちゃんが、新しい家に住むのをそんなにうれしく思ってなさそうなのが少し気になったが、仕方がないことなのだろう。挨拶を済ませ、長野からの帰り道、ご祝儀袋を開けて見たらビックリである。ピ、ピ、ピン札である。ご祝儀にピン札(一万円)が入っていることなど、3人で働いてまとめて1枚がせいぜいで、各々1枚入っているとはとんでもないことである。
「おばあちゃんありがとう。大切に使わせていただきます。」
後輩と共に心に近い、事務所に戻って社長の
「ご祝儀出たか?」
の問いに
「はあ、ちょっとだけ」
と、バイト代が気分的に下がってしまうのを恐れてすっとぼけた。
バイト代を貰うと、ご祝儀とそんなに変わらなかったで、喜んでいいことなのかどうなのかよく分からないまま、この日のバイトを終えた。
使用BGM:弾むキモチ
順路:
つづき

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