猫とおばあちゃん
私が働いていた引っ越し屋は、先にも書いたように市の福祉課からの引っ越しを請け負っていた。
一人暮らしの生活保護を受けている高齢者の、住んでいる建物の建て替えや諸々の事情による引っ越しなどは、やむを得ず市が引っ越し屋に依頼することもあるようで、月に2、3件の依頼があった。
私は、この福祉課の仕事が好きではなかった。
別に高齢者が嫌なのではなく、身よりのない高齢者の生活状況が嫌だったのである。
初夏の平日、ほとんど授業に出席していなかった私は、前日に来たバイトの依頼を引き受け、朝7時頃事務所に顔を出した。
今日は社員さんが休みの様子で、
「今日は福祉の一件だけだから。」
と、社長さんが朝ご飯を食べながら、もぐもぐと言ってきた。
引っ越し屋の朝は早い。
だいたい7時ぐらいに朝御飯を食べ、7時半位に出発し、引っ越し先に付くのが8時半とか9時という調子である。
朝早いため、この引越し屋では、バイトにも朝御飯が用意される。
一人暮らしの学生にとっては、温かい朝御飯が用意されているのはとてもありがたく、私にとってはこのバイトの魅力の一つでもあった。
お腹をいっぱいにさせ、車の掃除をして出発となる。今日は2トンショート一台である。
2トンショートは、都心の引っ越しには一番便利な車である。
車幅や全長はほとんど乗用車と変わらず車高が高い程度なので、高ささえ気をつければどんな道でもまず入っていける。
荷物も通常の東京の狭めのワンルームマンションなら1台で乗ってしまう。2台あれば、だいたいの引っ越しをこなせる車なのである。
今日の引っ越し元は、市の南のはずれの古いアパートの2階であった。
築25年てところか、正直いって大きな地震がくると一発でつぶれることは確実である。
1階の住民はほとんど引っ越しを終わっていて、このアパートは建て替えられるようである。
ちょうどこの時期、地上げがはやり始めた頃であり、地上げにあって引っ越しするようなお客も良く見かけた頃である。
2階の突き当たりの部屋まで行き、呼び鈴を鳴らした。
「ブー、ブー」
「おはよーございます。運送屋ですけど」
中からしがれたおばあさんの声で、
「はーい(ニャー)、どうぞー開いてます。(ニャー)」
「なんか変な声が聞こえる?」
とりあえず玄関をあけるとビックリである。
猫である。猫がいっぱいである。
「ニャー、ミャー、ニャー」
薄暗い部屋の中に見えるだけでも5匹はいる。
別に猫が嫌いではないが、そんなに好きでもない私にとってはギャーである。
しかも部屋中けもの臭い。
床も壁もきたない。
ギャーである。
奥からおばーちゃんが猫を抱いて出てきた。6匹目である。
「ご苦労さんです。」
「おばーちゃん、荷物だけでいいんだよね」
社長さんが、動揺した様子もなく尋ねた。
「あーおねがいね。片づけといたから。」
奥を覗くと全然と言っていいほど片づいていない。
最悪である。
早速、社長の指示でたんまりと用意してきた段ボール箱を持ってきて組み立てる。
この手のお客さんの場合、とにかくなんでもかんでも梱包してしまうしかないのである。
壊れかけた椅子など、さすがにこれはいらないものだろうと思って、
「これはいるんですか?」
と聞いてもおばあちゃんは
「捨ててくよ」
とは言わない。
昔からの習慣で、物を捨てれないのある。
しかも、全てのものに思い出が詰まっていて、私たちが見て必要のない物でも、おばあちゃんにとってはとても大事な物なのである。
聞き方を間違えると、思い出話が始まったりもする。
社長と私はドンドン荷造りをし、できた物からトラックに乗せていった。
おばあちゃんも箱に詰め込んではいるのだが、私たちに比べるとすごく遅いのは仕方がない。
いったいいつからこのコップはここに置いてあるのだろう?
とか、
どうして5年前のカレンダーが今もあるのだろう?
など、普通に考えていると先には進まない。
一通り詰め込みが終わった頃、最後の冷蔵庫には参った。
ドアを開けるの事自体も勇気がいったが、開けてみるとほとんど腐っているとした思えない物も、ところ狭しと詰まっている。
冷蔵庫が冷たいうちはまだ臭いなどが押さえられているが、温度が上がったりすると地獄を見ることは容易に推測できる。
ある程度中から重い物を出したら、水が漏れてもいいように(事前に水抜きをしておくのが普通のお客さん)ビニールを敷いて終了である。
荷物を載せ終わったのは、昼前であった。
荷物が片づいていれば、もう既に運び込み終わっている時間である。
社長が、
「おばーちゃん、荷物運んどくからね。」
「あーお願いね」
早速、トラックに乗って移動である。
とにかく冷蔵庫を運んで電気をいれないとまずいので、急がなければ。
市の福祉課からの引っ越しは、市内から市内がほとんどなので、移動時間はほとんどない。
引っ越し先は線路をまたいだところのアパートであった。
冷蔵庫だけ先に運んで電源を入れてからホッとして、昼御飯に出かけた。
近くの中華料理屋に入って社長が、
「なんでも好きなもの頼めよ。」
と言ってくれた。
多くの場合、引っ越し屋は昼御飯の心配をしなくていい。
この頃は、だいたいお客さんが店屋物を取ってくれたからである。
定番は、カツ丼か鰻重である。
金持ちの場合はにぎり鮨で、一度だけケンタッキーフライドチキンという時もあった。
暑い時期は、途中で冷たい飲み物は必ずと言っていいほど出てくる。
あたりまえなのかどうかは良く分からないが、貧乏学生には、それだけで結構うれしい。
実を言うと、手作りのおにぎりなどの手料理が一番うれしかったりするのだが、引っ越しの時は大抵それどころではない。
しかし、福祉課の仕事は、だいたい引っ越し屋持ちで昼食をとる。
さらに引っ越しではよくあったご祝儀も、生活保護で暮らしている人からはもらえない。
昔の人なので、なけなしの金を渡そうとする事があるが、社長は普通お客の暮らしぶりが良くない限り受け取らない。
私は、
「チャーハン大盛りと餃子ください。」
と注文した。さすがに力仕事のためお腹が減る。
社長はラーメンを注文して椅子に座った。
「今日のはハズレやな。」
「ええ、ちょっとすごかったですね。」
「でも、誰かがやってやらんとだめやからな。」
社長が福祉課の仕事をあまり儲からないにも関わらずやっているのは、ある程度奉仕の精神のようである。
「まー、福祉課の引っ越しはだいだい暇なときに来るからな。」
とも言っていた。
食事をした後アパートに戻り、40分ほどで荷物を運び込み終えた。
事務所に帰ってきて、社長は、時給にすると通常より多めのバイト料を、
「またお願いするわ。」
とだけ言って手渡してくれた。バイト料を受け取った後、ふと、
「あのおばあちゃんは、次のアパートであのいっぱいの猫を飼えるのであろうか。」
と心配になってきた。
寂しさを紛らわすために飼っているのであろうが、今のご時世、大抵のマンション、アパートが動物禁止である。
「あれだけの段ボールの山を、ちゃんと整理できるのであろうか。」
などいろいろな心配が頭をよぎったが、考えてもしかたがないので忘れることとした。
わたしは、バイト中に数十件の福祉課の仕事をした。
その中で気付いたのは、一人暮らしのおじいさんは、結構こぎれいにしていることである。
それに対して、一人暮らしのおばあちゃんは、極端に二通りにわかれるみたいである。
綺麗に掃除をしている人と、全く掃除をせずむちゃくちゃな生活をしている人ある。
しかも後者の方が多いようなのである。
おじいさんと死に別れてから世話をする人がいなくなってしまい、自分のためだけには何ひとつしないようなのである。
このことに気付いた時は、ずしっと悲しい気分となったが、社長も昔から気付いていたらしく、
「女がつくすという昔の習慣もあるけど、やっぱり男と女の本質的な違いじゃないねえか。」
と、言っていた。
どうも自分のために生きるのが下手な人が、男性より女性の方に多いみたいである。
私は、福祉課の仕事が嫌いであったが、しかし福祉課の仕事だからと言ってバイトを断ることはしないように決めていた。










